「幸福への探求」に関しての覚書【第1回:人間の心の構造】

 鴨志田 恒世  著作集の補巻として、従来からありました「日常生活に及ぼす深層心理」を改め「幸福への探求」―日常生活に及ぼす深層心理の影響―として新書版で発刊されました。

 この補巻は、日常生活における深層意識・潜在意識の影響を具体的に取り上げ、その題名の如く幸福へ至る「心の自然法則」を解説され、深層意識の歪みの原因を究明し、其の歪みを是正する方法を示されたものです。そして、其の全てが「勇気・元気の出る言葉」です。

  後にも出て参りますが、「世の中には優れた人とか、劣った人とかはいない。己自身を理解しない人があるのみ」と記されています。その言葉の如く、自分自身を理解し、自己破壊的衝動から自らを開放し、穏やかな心と、心温まる人間関係を築き、真に幸福な人生を齎す上での極めて大切な、現実に即した実践的方法が示されています。

 諸兄姉は実生活を通して、これを十分に活用してこそ意味があることですから、この「覚え書」を参考に、発展的に繰返し内心に問いかけて戴きたいものです。  

 これから20回のシリーズで、紐解き解説して参りますので、皆様と共に考えて参りましょう。

                     NPO法人わたつみ友の会 広報部          

 

【第1回:人間の心の構造】 

 心の核を氷山に喩えれば、海面に出ている部分は、全体の五パーセントであり、後の本体の残りの九五パーセントは海中にあり、広大無辺な海洋に接しています。

 心の構造の模式図 -REV-.jpg

 心もまた意識される意識、所謂顕在意識は全体の五パーセントにすぎません。後の意識されない意識、所謂潜在意識(無意識)がその全体を占めているという事です。心の構造は幾重にも層を成し、その最も深奥は神性に連なっているという事です。そして、この潜在意識を浄化する事が、幸福な人生を築く上で最も大切な事であり、人に騙される前に、自らに騙されない、己に背かない心を養う事に繋がるのです。                                                    

「幸福への探求」への覚書 【第2回:意識を超えた潜在意識エネルギー】

【第2回:意識を超えた潜在意識エネルギー】

 此処ではアメリカの猟銃暴発事故を挙げて、深層意識が表面の意識を越えて働くことを示され、日常生活に見られる普通の出来事に、精神(潜在意識のエネルギー)と客観的現象の間に存在する相関関係を学ぶことが大切であるとしています。(本文を参照し、潜在意識の沈下作用について学びましょう) 

 「潜在意識の沈下作用」とは、表面の意識における強い情動(悲しい記憶、怒り、憎しみ、恨み、嫉妬、殺意等)があると、それが表面の意識から潜在意識に沈下して、あたかも自意識から忘れられたように見える中で、潜在意識に蓄積されるということです。

 そして、ある条件が整えば其の蓄積されたものが力・エネルギーとなって表面に現れ、具体的行動となって、目的を果たして行くということです。其の行為が成就しエネルギーが解放された後は、自分が何故そのような行動をしてしまったのか分からないということなのです。これが「他人の騙される前に、自らに騙される」ということです。これは日常で事の大小に関わらず頻繁に起こっていることです。 

 そこでこの歪みから起こってくる病気について、慢性胃炎、胃潰瘍、高血圧、喘息、心臓疾患、神経痛、リューマチ、糖尿病、子宮痙攣、生理痛等を挙げています。(思い当たることを考えて見ましょう) 

 最近のマスコミによる報道を見ますと、こんな事が本当に起こるのかというような、悲しく、胸を締め付けられるような痛ましい事故、事件が多発しています。そして、「意識の沈下作用」を考える時、報道される表面的動機はあまり当てにならない事、事件や事故を起こした当人の深層意識に、本人が意識しない激しい情動が潜んでいる事を常に考慮しなければなりません。当人がなぜそのような行動をしたのか分らないというように、周囲を驚かせ戸惑わせるのです。

(自己破壊的衝動と同時に、自らの行動に対しての処罰を望む感情が同時に存在する事も合わせて考えなければなりません。)

 幸福な人生を築くためには、この潜在意識に沈下した激しい情動(心の歪み)を浄化し、開放しなければなりません。その為の方法を順次見て行きましょう。

「幸福への探求」に関しての覚書 【第3回:過食症も潜在意識の指令で】

【第3回 過食症も潜在意識の指令で】

 此処では或るご婦人の過食症の状態を挙げて、其の原因、心の在り様とその対処法を示しています。 

 私達は絶えず外来の有形無形の刺激を五官で受け入れ、それが精神衛生上有害なものを多分に受け入れて、潜在意識に歪みを来たし、生理的又は客観的現象に悪い影響を及ぼしている。

 自らが意識しない機械的刺激に対しても潜在意識は素直に反応することが分かっている。(サブリミナル効果)(本文から) 

 人間は心に深い傷を受けると心の苦痛を覚える。人間は誰でも苦痛から逃れたいという本能(防衛機能)を持っている為に、それが潜在意識的に自律神経系に対して作用し、苦痛を意識する時間を出来るだけ少なくしようとして、大脳の血液量を少なくする目的で、胃の方へ食物を運び入れ、血液を胃の方へ血液を集中させると解説されています。結果として大脳の血液量が減ることは、大脳に酸素が十分いかなくなり意識中枢が十分に機能しなくなることで、苦痛を和らげると考えられる。(私達は誰しも心に心配や不安を抱えていると、無性に何でも食べたくなる経験があると思う)

 その結果として、体重の増加を来たし、脂肪やコレステロールの増加、足への負担の増加による関節通などを引き起こす結果となり、ひいては高血圧、心臓疾患、糖尿病、リューマチ等に移行することになるということです。

 要するに内心に不安や心配、強い情動(心の歪み)があることを物語っていることに気付くことが大切ということです。またこの逆の拒食症についても同じことが言えます。この事には性的な強い情動が隠れていることもお伺いしたことがあります。

 これら全ては自己を防衛することが却って思考力を減退させ、精神的にも肉体的にも自己を破壊する行為であることを忘れてはなりません。

 先生は、こうした心の歪みを改善するには次のようなことを挙げておられます。

1.過去の出来事を秘密として残さず、過去をすっかり清算して心を開放すること。

2.現在抱いている不安や心配に捉われないこと。

3.深い罪の意識を清算すること。

4.自らを赦すこと。(この4項目を具体的に理解しましょう)

 

 即ち、自らの心の在り様を真に理解することです。しかし、これがなかなか難しいのです。

誰しもが自分の置かれている精神的にも現実的にも其の状況の真実を観たくないものです。それに困難が伴えばなおさらで、他人から指摘されることに対しては更に強い拒否反応を示すことになります。

 更に先生は人間の精神界における自然法則の無知に起因することが多いためと思われる。」

平和なそして幸福な生活は、正しい精神生活の上にのみ築かれることを銘記しなければならい。」と記されておられます。

そして更に自分の遠い過去の意識の底に沈下した深層意識が、己の運命を作り上げて行くともあります。

 

 次回は、現代の私達の心を捉えて離さない不安の原因、その解消法を見て行きます。

「幸福への探求」に関しての覚書 【第4回:現代の不安をどう克服するか(1)】

【第4回 現代の不安をどう克服するか(1)】

  

  此処では現代の私達の心を捉えて離さない不安の原因と、其の克服の方法の第一歩を示されています。この項目は深層心理・歪められた心の本質を究明し、私達を幸福へ導く極めて大切な考え方、心の在り様を述べられていますので、正確に記憶し、理解いたしましょう。

 

 先ず不安についての本文の大切なところを箇条書きにしてみます。

  1. 不安とは「予測出来ない事に突き当たって、自分一人の力でそれを解決しなければならない時に、自分の力が余りにも無力だと痛感するか、或は漠然と自分の無力さを感じている時に起こる情動である。」
  2. 不安とは「限りある生命と限りある能力しか持ち合わせない我々人間が、宿命として負わされている重荷なのである。」
  3. 不安とは「破局を齎す状況が起こりはしないか、自分の身に破綻が起きはしないかと予期している事」
  4. 不安とは「自分が全くどうにもならなくなる前に自分の身を守る、いわば危険に陥るのを予防している心の働き
  5. 「危険が起きないうちに危険が起きるかも知れないと、潜在意識から自分に告げてくれる赤信号の役をするのが不安の働きである。」

 

 これらのことからいずれも自分と現実との間に起こる心の葛藤であることが分かると思います。そしてそれはまた、不安とは「漠然とした対象が無い恐れ」であるという事です。

(対象の在る恐れを恐怖という)

 

 現代は複雑な社会機構の中で、行動の規準、価値の基準を失ってしまった所の自由、其の自由が却って不安を増大させ、自由の度合いが不安の度合い、深刻さに繋がっているという事です。また国家、国民が拠って立つ頼るべき精神的基盤を失ってしまった事への不安であり、其の奥に深刻な生命の危機感が存在すること見逃してはなりません。そして現代人は精神的に孤独になってしまったのです。

 それではこの深刻な不安をどう克服して行けば良いのか、本文から探ってみましょう。

 

 先生は「絶望してはならない」と、「不安を克服して行く道は、自分自身の中に求めて行く外はない。この方法は何時いかなる時でも、その人にとって可能なのである。」と記されています。

 

  1. 現実の自分の態度(良い面も悪い面も)、自分の生活条件をありのままに認める事。
  2. 自分の中にある欲求を恐れずに直視する事。を挙げておられます。

 

 これが先に述べた「真に自分を理解する」ということに他なりません。

「感情的孤立や基礎的不安をより少なくする為、対人関係を円滑にする事である」とも述べられております。

 つまり、他人との関係を温かな心の通ったものにして安全感を確保するということに尽きる。其の為には自分自身の現実を理解していなければならないということです。

「幸福への探求」に関しての覚書 【第4回:現代の不安をどう克服するか(2)】

【第4回:現代の不安をどう克服するか(2)】

 

 更に深めて先生は、

 「人間の心に潜む不安は、依存したい欲求と、攻撃したい欲求を同じ対象に対して同時に持っている矛盾から起こるもの」と記されています。つまりは対象に向けられた心の葛藤である。これは後の項目にも出てきます「愛と憎しみ」についての意味深い考察で明らかとなります。

不安を和らげるには、この二つのものをどう和解させ、調和させるかにかかっているということです。

 

 不安が昂じると、不安神経症となり、それが性格になれば神経症的病弱型となり更に昂ずれば、精神分裂病となり、自らと他人を滅ぼして行くことになる。二十世紀が精神病の時代といわれた所以は、自由の拡大によって齎された不安の増大であり、科学時代に相応しい人間に行動の規準(信仰・思惟など則るべき規範)、価値の基準を与える新しい倫理観を提示していないために起こったことなのです。

 この項目の結論として、

 「不安を解決する根本的な態度は、幼いときからの家庭での生活にあるとされ、世の親たる者の責任は重大である。」と締めくくられています。

 つまり幼児期における両親の惜しみない愛情に包まれて成長することにより、人は温かい存在である云う安心感を得て、良心が形成され、それによって生涯変更されない道徳的健全な精神的基盤が出来上がってこその幸福へ至る道である事を示唆されておられると思います。

 更に幼児期の心の歪みがその人の一生を、運命を形成すということであり、「自分の遠い過去の意識の底に沈下した深層意識が、己の運命を作り上げて行く」そのものなのです。

 

 最新の調査によると、推計でこの一年以内に53万人の自殺未遂の人がいて、又、別の調査では、引きこもりの人の数は70万人に達するとされ、その多くが20代、30代の青年であると発表されている。極めて深刻な状態であり、現代は不安の時代ともいえるでしょう。

 

 現代はソーシャルネットワークが著しく発達し、人々の繋がりがより強固になったように見える。しかし、ネットワークでの繋がりはあくまで仮想空間での繋がりであり、温かな血の通った心の触れ合いでもなく共感でもない。そのように見えるだけなのである。そして有害な機械的刺激が氾濫しているし、よからぬ誘惑も増えている。人々はそうした刺激や誘惑を好むと好まざるとにかかわらず受ける事態となっている。

 メールが来たらすぐ返事を出さないと、無視されたと感じ、それが昂じて携帯依存症になり、脅迫観念に苛まれ、ついには相手を精神的にも肉体的にも傷つけてしまう悲しい事件が後を絶たないのです。ネットワークを通じて自分自身が多くの人々と繋がっていると思い込んでいるだけなのです。

 これはまさに孤独の反動としての依存したい欲求であり、それが破られた時には、それが攻撃したい欲求となって現われた悲劇なのです。

 そして、先に述べられているように「現代は複雑な社会機構の中で、行動の基準、価値の基準を失ってしまった所の自由、その自由が却って不安を増大させ、自由の度合いが不安の度合い、深刻さに繋がっているという事です。…その奥に深刻な生命の危機感が存在する事を見逃してなりません。」とあります。

 この不安の増大と、価値基準の喪失がよりいっそうの孤独感を生んでいるのです。そして、その孤独感は、ソーシャルネットワークによっては決して解消されないのです。

「幸福への探求」に関しての覚書 【第4回:現代の不安をどう克服するか(3)】

【第4回:現代の不安をどう克服するか(3)】

 

 此処で一つだけ不安の事例を挙げて見ましょう。 

 

 不安の中に身を置く神経症乃至神経症的病弱型の人間は、幼い時に体験した心の傷、生命の危機感が潜在意識に沈下して、常に心の奥から湧き上がる情動によって行動が支えられ、それを理性で抑えようとして感情と理性の間の軋轢により、生命エネルギーを消耗し、疲労し、人を信じられず何時も内心は孤独である。そして其の反動として自分の気に入った他人にはべったりで、考え方も否定的なものを持っている。心の表面では幸せや・健康を願いながら、心の奥所謂、潜在意識では不幸や病気を愛し、そして自分を悲劇のヒーローやヒロインにしておきたいと心から願い、故に皆から同情される資格があるとして、其処に留まり、其処に安全感、他人との温かい関係を作ろうとするところに倒錯があるのです。

 表面は他人を大切にしているように見えて僕のように扱い、其の関係が崩れようものなら安全感はたちまち崩壊、依存したい欲求は阻止され、今まで潜めていた攻撃したい欲求が頭をもたげ、謂れの無い非難や、恨み言や、憎しみを募らせ自らを省みないのである。そして周囲のものを戸惑わせるのです。

 これが「他人に騙される以前に、自分に騙される」ということです。

 

 だからこそ私達は自分自身の姿を真正面から観て、其の真実を直視し、自分自身を常により良い方向へ変革することが緊要時なのです。そして今までそれを疎かにしてきたのです。

 

 先生は「絶望してはいけない」とおっしゃっておられます。今からでも遅くありません。

「心の自然法則」を学ぶことは自分の現実を知り、真に理解するための学びなのです。 

 

 不安の中に身を置く人々の中で、自殺未遂の人は、自らの価値を弱小と捉え、生きる希望を失った人々であり、引きこもりの人は、人を信じられず、自らの内部に安全感を求めた人達である。

そして、其の背後に、先に先生が述べられているように、深刻な生命の危機感が存在するのです。

 

  • この解決には外部の調整では役に立たず、自らの内部での調整に求めなければならないのです。そして、その激しい情動を何とかして破壊ではなく建設の方向に向けなければならないのです。

  その解決法を「幸福への探求」は教示しているのです。

 

 不安は生命エネルギーを無駄に消耗し、自らを破壊する源泉。キルケゴールがいうように動物は盲目的意志によって不安は無いと、また天使は恭敬を旨として不安は無いと、人間は動物と天使の間の自由意志を持つ有限な精神的存在として不安が存在すると。先生がおっしゃっておられる宿命としての重荷なのである。この不安を止揚して自らの成長の糧にしたいものです。

 

 次回は、不安に続いて、現代人の心を捉えて離さない劣等感について見て行きましょう。

「幸福への探求」に関しての覚書 【第6回 劣等感の克服は悔悟と転信から(2)】

【第6回 劣等感の克服は悔悟と転信から(2)

 更に大切なことは、故障の原因は、考え方に、信じることにあるとして、信念の再指向即ち(転信)信念の方向を変える事が不可欠であると記されています。

 そして、劣等感や心配や恐怖に対して、その苦難を理解し、超越するためのヒントが次の文章に記されています。

 「富や貧乏、あるいはどんな条件も人が如何に反応するかによって呪いとも祝福ともなるのである。劣等感に悩む人に向って、私が与える忠言は、彼と同じ環境にある誰かを心に描いて、その人にどういう忠告を与えるかを自分自身に聴いて見なさいということである。彼には処理すべき難題があるというだけである。彼の創意工夫を煩わすような挑戦があるのみである。難題は事実において彼の一部ではない。」と、つまりは問題を客観化することで、問題を自分から切り離すことであるということです。問題を自分の中に温存している間は、その問題から逃れることも、理解することも、超越することも出来ないということです。後の項で「貧乏や病気は実在ではない」と記されて、信念の変革が自らを幸福に導くとおっしゃっておられます。

 ●このことを是非とも徹底して理解に至るように努力いたしましょう。このことが理解出来ない 

  と人生の苦難からは逃れられないことになります。

 

 次に極めて大切なお言葉があります。

「世の中に優れた人とか、劣った人とかはいない。己自身を理解しない人があるのみである」と、

「誰しも大生命力を持っており、大生命力の原質を、彼自身の身体を通して、どう指向するかを選ぶ力を持つ・・・・」とあります。

 

 ● 課題:上記の言葉を深く考え十分に理解し、心に留めましょう。

 

 己を理解するとは、真の自己を発見し、自分自身を是認することである。ここで始めて己に信念が持て、「大生命力の誠実さにも信念がおける」つまりは、信じることが出来るということです。

言い換えれば、自らを信じられない為に、他人を信じられないということです。更に外界は己の心の反映ということです。(三界は唯心の所現)信じられる自分なることが先決なのです。

                  

 ● 参考:幸福や善について次のような興味深い文章があります。 

 「・・・幸福内容は千差万別であり、また、当の他者が直接念頭に置いている内容が、真に幸福に値するかもにわかに断定できない。価値ある物は、えてして感覚的には苦痛を伴うことが多い。

 良薬は口に苦く、甘美な物は身体や精神をダメにする。相手の願っている事を提供する事が即善とは言いきれない。悪事に加担するにもなりかねないからである。相手の願う幸福内容が普遍的に妥当な意味を持つ限りにおいて、その実現に奉仕することが大切である。以上から、偏った利己心を持たずに、身内でない他人の人格的向上につながるような行為をしてあげることが、道徳的に価値ある利他性といえよう。」                                                        

                                   (倫理思想辞典から

 

 次の項で、自らを信じることが出来るようになるための行動の在り方、心の在り方を具体的に解説されています。

「幸福への探求」に関しての覚書 【第13回 アルコール中毒症と口愛型性格(1)】

【第13回 アルコール中毒症と口愛型性格(1)】

 

 先の十項「愛の欠乏感が口愛型人間を生む」の中で、口愛型人間とは、

「精神的に欲求不満のある場合、特に性的欲求不満など、愛情の欠乏感が心の奥底に深く潜在している人々で、本来、性に関する器官を用いて果たすべき機能を消化器系統の器官を用いて行なう、愛を求める形式が口唇を用いる時代まで退行した人間である」と記されています。

 消化器系の疾患、下痢、慢性胃炎、胃潰瘍などは、経口的攻撃性に対する罪悪感から来る自己懲罰であるともおっしゃっておられ、心の奥底に愛されたいという強烈な内因性刺戟、渇望があり全ては愛の欠乏感に由来する性格であるともおっしゃっておられます。

 

以前にも述べられていますが、攻撃的傾向と依存的傾向は相矛盾するように観えていますが、その原因は同じところ、即ち愛の欠乏感と愛憎の交錯から来るもので、表現の形が違うだけであることに留意しなければなりません。そしてよく観察して見ますとこうした傾向が錯綜していることに気付くのです。

 

 さて此処ではアルコール中毒症(依存症)との関係を具体的に述べられています。

 

 先ずアルコールについては、

「『酒は百薬の長』といわれ、適度な飲酒は精神的ストレスを解消し、肉体的な緊張を和らげ、人間関係を円滑にして、幸福感を齎すとして、その効用については一定の評価がある一方、『酒は気違い水』ともいわれ、耽溺と自己破壊を齎すものである。」とも述べられています。

そしてアルコールは、

「現実に直面する苦痛をある程度軽減し、また情緒的軋轢から来る精神上の苦悩を緩和して・・・その限りに於いて自己救済の手段であると見ることが出来る。」と記されています。

 

アルコール中毒症の人達の性格として、

1.子供として取り扱って貰いたい、他人への非難や迷惑などに対して見逃して貰いたいという傾向。(幼児性、つまりは退行している)

2.心に煩悶があり、それに堪えている (煩悶:もだえ苦しむこと)

3.心ひそかに悩んでいる深刻な絶望感、自棄的感情の持ち主

4.直面するに忍びない、また言うに言えない恐怖の為に心秘かに苦悩している

5.その結果として精神的な不安定さを持つ

 

こうした苦悩を埋没する手段として酒を用いる事で、この療法、即ち飲酒が病気即ち自分が恐れているよりも悪化させてしまうと記されています。

これは「つまりそれは一つの形式の死から逃れる為に、別の形式の死を求めているようなものである」と記されています。

難しい表現ではありますが、自らに抱える深刻な絶望感や煩悶は、やがて自身を死の淵に追い遣るだろうという恐怖から逃れる為に、別の死つまりはアルコールに耽溺することが却って自らを破壊するという事だと解することが出来ます。そして心の弱さ故に却って罪悪感に苛まれて悪循環に陥るとも言えるのです。(苛まれ:自らを責めること)

 

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