「幸福への探求」に関しての覚書 【第5回 劣等感に悩まされないために(1)】

【第5回 劣等感に悩まされないために(1)】

 此処では不安に続いて、現代人の心を捉えて離さない劣等感、即ち自らが劣っていると感ずる心の原因を探り、其処からの救済の方法を述べておられる。 

 劣等感とは、不安と同じように自らの無力感に由来し、それぞれの社会的立場において、自分に頼ることが出来ず、其の為他人に頼らなければならないが、それが益々無力感を助長し、「無力であることを知り、自分の中に戻った個人は、みんな無力であると感ずる。これが劣等感を引き起す根源なのである。」ということです。

 そして其れは外面的原因ではなく「自分の依存的な態度が他人に受け入れられなかった事から来る孤独の感情である。」と述べられています。

 そこで劣等感を整理してみますと、 

1.自らの無力感に由来する。

2.自らの依存的態度に由来する孤独の感情であること。

3.他人と比較して自分の価値が少ないもののように思い込む感情である。

4.価値判断の基準を他人に置かなければならない心の不安定さによる。

  (前項の不安の原因と併せて理解しましょう)

そして、普遍的には「愛の欠乏感に由来する自信喪失にある」と記されています。

 

 不安の項にもありますように、自由に伴う責任の重さに自らがさいなまれることであり、これを克服するには自分を全て理解しなければならないし、自らの行動の選択、即ち決定を強いられることで、其処に不安が生ずることになるのである。(無力感と依存的態度によって決定が出来ない)

自由だからこその不安であると同時に劣等感の温床でもあるのです。

 

 この実例として、母子家庭における母親の心の葛藤、心の歪みが息子の心の成長に重大な影響を及ぼし、子供の心を歪めてしまうことで、人生を不幸に導いてしまうことが記されています。(本文参照)

「母親の劣等感から出発した盲愛は、子供の劣等感を形成し、愛と憎しみを交錯させてしまうことになった。」と端的に述べられています。これは前項の「世の親たる者の責任は極めて重大である。」に行き着き、人の一生を左右する良心が形成されるということです。

 家庭内暴力などの事件の背景には、依存的態度が破られた時、攻撃的態度となり、その底には無力感、孤独感、劣等感が潜んでいると共に、救いを求める姿があるのです。

 そこで劣等感を補うために振り子のように働くのが優越感である。双方の感情は全て他人との比較において現れるものでいずれもが心の安定を欠くものである。

 

 次のような人が劣等感を抱く人であると記されています。 

1.完全に環境に適応していない人。

2.常に自分自身の考え方、行動の仕方に自信が持てない人。

3.「行動の規準を自分の中に、普遍的原理として捉えていない」人である。 

「幸福への探求」に関しての覚書 【第5回 劣等感に悩まされないために(2)】

【第5回 劣等感に悩まされないために(2)】

 前回につづいて、どうすれば自信が持てて、環境に適応できる柔軟な心を持てるのでしょうか。

それには先生が示される行動の基準である普遍的原理(心の自然法則)を真剣に学び、理解し其れを活用できるようになることだと思います。真理を愛するということです。 

 更に劣等感とは、自分自身のもつ理想像と比較して、現実の自分自身を価値少なく評価しているのが、その実際の姿なのだと記されています。

 

 この項の結論として、劣等感に悩まされないためには、 

 

現実を見つめ(理解する)、その上でそれに適合した自分自身の理想像を持つこと(赦すこと)。

1.本質的には、人間とは何かという命題に対して一歩一歩解明の努力を続け、生命の偉大さを知 り、その尊厳なる所以を自覚すること。

2.自分自身がその大いなる生命の至宝の持ち主たるを自覚すること。

3.宇宙の大生命と一体となった生命の法悦を自ら体験することによって、真の人間の自信を回復すること。

 此処へ来て先生の「勇気・元気の出る言葉」が鮮烈に響いて来きます。

 

 「悪戦苦闘しても真実を求め続けよ」「自らに常に鞭を打ち続けよ」「全てを放擲して新しい真理を学べ」と、「私の言葉をお腹の底に耳元に留め置いて繰返し、繰返しそれを噛み砕いて、消化し、吸収して、本当の人間の生命というもの、生きている事実ということ、生きる意味ということの本源を探り、そして新しい幸福な人生を築く一つの柱としてお役に立てて戴ければ大変幸いだと思います。」と遺されています。(著作集第四集「古代日本の神と人間」百七十六頁) 

 

●課題として

 自分自身の全てを理解するとは、自分自身の理想像とは、大いなる生命の至宝とは、宇宙の大生命とは、生命の法悦とは、これらの事柄を深く考えて見ましょう。

 過去の講座から

 「劣等感は、如何なる地位、権力、財宝、学識、その他外的なものによって克服出来ない」と、つまりは自分自身の内部に解決の道を見出すしかないということです。

「自分の触れたくないものを勇敢に切り開いて顕わにすることで、そのエネルギーは消滅して行く」ともおっしゃられています。この事も併せて考えて見ましょう。

 

●参考 

 神の支配に従ったかどうかが問題なのであって、成し遂げた業績が問題ではない、と言うのである。この世界では業績の質と量が問われる。もちろんそれはそれなりの根拠があることだ。しかし業績をどれだけあげるか、またそれが人に認められるかどうかは、努力だけではなく才能や運がものを言う。

 人間は特定の時と所に、特定の個性なり能力をもって生きているのであって、この場合その人が人間として立派に生きたかどうかということは、彼が何をしたかということではなくて、彼が「神の支配」に服していたかどうか、根底的な規定を生かしたかどうかによるのである。(「神の支配」を先生のおっしゃる「生命の原理」と置き換えてみましょう)

 換言すれば、彼がかれ自身として生きたかどうかが大切なのである。・・・・・(人と思想・イエスから)

 

 人生にとって何が一番大切なことなのかを深く考えて見ましょう。

「幸福への探求」に関する覚書 【第6回 劣等感の克服は悔悟と転信から(1)】 

【第6回 劣等感の克服は悔悟と転信から(1)】

 此処では劣等感を克服するには、(悔悟)悔い改めて、(転信)心の方向を変える事と結論付けています。これでこの項目は終わりです。

 そうは言っても、具体的には悔い改めと心の方向を変えるとはどう言うことなのでしょう。 

劣等感は社会のあらゆる階層に見られ、「結果を恐れる故に決定を下すことが出来ない」

 これは内心の依存的態度行動の基準を持たないことによる事は既に明らかとなった。そしてその感情(情動)の力は、如何なる外面的装い(客観的調整)によっても阻止出来ないのである。

 

 此処で先生は、子供は出来るだけ早い時期に大生命力の問題に対処できるように教育すべきと述べておられる。(本文参照)そしてその信念が生涯を左右することになるとも、

 ● 課題 アンダーラインの部分の意味を深く考えて見ましょう。

 

 劣等感を感じる、自らを弱いと感じることでとる行動の具体的例として、

1.権力者や隣人に救いを求める。

2.薬や飲酒により、悲しみを紛らわす。

3.自分が英雄になった幻想、白日夢を見る。

4.旅行に逃避して常に新しい場所、新しい風景を求める。

5.孤独を恐れて、常に面白い友達を求める。

6.自分の欠如感を償うために他人を批判する。

7.世捨て人となり、恐怖への奴隷となり一人で暮らす。 

8.極端な逃避は自殺となる。

 程度の差こそあれ思い当たることがあれば、反省の材料としたいものです。

 これらは全て「自分を守るため間違った防禦正面」となり、依存的態度か、攻撃の態度のいずれかの方法で自らを守るのである。(自己愛)

 

 「劣等感に対処するには、逃避と防衛は二つとも間違った方法であると、「これらに対して客観的調整は、決して問題の核心に触れるものでなく、難題に逃避と防衛で反応している間中、彼は内面的な弱小感は温存され、心の傷は決して癒されないと、こうしたことは永続的な救済にならないことから「調整は内部で行なわれなければならない」と結論されています。

 客観的調整とは、金持ち、結婚、権力、名誉、地位などの外部的成功を指している。

 その為には我々の考え方、思考を変える外はないとして、それは出来るとおっしゃられています。

 

 「問題の中心は、外に出て大生命力と対面しようとする衝動と、大生命力に対面することの恐れとが矛盾して闘争することにある。」と記されています。(愛と憎しみの交錯を考えて見ましょう)

 これがしばしば精神又は肉体の故障の原因となり、先に述べられたように外界の調整では一時的な軽減があるだけで、内面の思考の中で調整しない限り、不幸は続くのである。

 内面の調整とは、その原因の起こりを知ることによって、それを理解することであり、赦すことである。「理解は即ち赦すこと」これがなかなか難しいのです。解決に導くには、先にも述べられてあるように「人間とは何かという命題にたいして一歩一歩解明の努力を続け、生命の偉大さを知り、その尊厳なる所以を自覚すること」なのです。

「幸福への探求」に関しての覚書 【第7回 行動を通して潜在意識の奥底に善の種を(1)】

【第7回 行動を通して潜在意識の奥底に善の種を(1)】

 此処では、真の幸福を得る為に、特に信念(心の在り方)と行動の在り方をどのように選択すれば良いのかを述べられています。そして人間の本質について、私達が拠って立つ根拠を述べておられるので、細心の注意を払い正しく理解しましょう。

極めて大切な事なので(1)〜(4)に亘って見て行きましょう。

 

 先の項目では、不安と劣等感などがどうして生まれるのか、その諸相とその克服にはどのような心構えが必要なのかを示されました。そして此処で「心配や恐怖は人間の最大の敵であり、生命力を消耗し、幸福を破壊し、進歩を妨げ・・・・恐怖は人間を精神の在り方の奴隷にする・・・」と述べて、こうした不安や恐怖、劣等感などが如何に人間の心を破壊するのかを物語っています。

 

 一方で、精神は人間の持つ最大の力とも述べられ、「人間は誰でも自らの信念(心の在り方)に基づいて行動し・・・・・いかに信じるか、何を信じるかを選ぶ権利は生命力が我々人間に与えた最大の賜物とも述べられています。

よって、精神(心)を使うこと事によって、思考(考え方)の習慣によって運命を指向(ある方向をめざして向うこと)が出来るとしています。

 

1.悪いこと、病気、失敗、不幸を信じるとは、精神力を自分自身に逆らって使うことになる。

2.健康、成功、大生命力の善さを信じるとは、精神力を自分自身の善の為に使うことになる。

 

信念(心の在り方)は善悪いずれにも運命を指向(選択)することが出来るということです。

つまり、「その人の信念に応じて生命力は素直に応答する。」となるのです。

 

 更に、「恐怖とその影響を克服するには積極的な信念(善に向う信念)を確立することが必要」と述べられ、これは偶然に得られるものではなく、それには「生命の事実を学び正しく理解しなければならない。」と、この「正しく理解する」ということが重要ということです。

 

 此処で実例を二つ挙げて

 一つは、アメリカでの出来事、長い間、脚の関節炎に悩まされた青年の事例を挙げて、「罪の意識」が病気を起こし、その意識を赦す(理解)ことによりその病気から開放されるということを示しています(本文参照)。つまり、古い記憶を開放して、正しいことを思い、為すことで病気から開放されたのである。(前項の自分の触れたくないものを切り開いて・・・・・を参照)

 こうした事から、健康になる権利又は資格があると信じることが全てということです。また、これが信念(心の在り方、考え方)を積極的(善)の方向へ再指向することなのです。

(この事例は身近にあるように思えますので探してみましょう)

 

 もう一つは、先生の身近に起こった或るご婦人の過去の行状に対する罪悪感からの解放の例(本文参照)です。これもまた、自分は苦しむべきであるという信念に基づいたもので、その信念が再指向され、解放されるという典型的な事例です。

 これら二つの事例に共通することは、罪障意識(秘密にされるもの)という否定的な精神エネルギー(信念)が自らの運命を形成したということです。

「幸福への探求」に関しての覚書 【第7回 行動を通して潜在意識の奥底に善の種を(2)】

【第7回 行動を通して潜在意識の奥底に善の種を(2)】

 

 「人間の潜在意識に深く沈下した罪障意識は幸福を求める顕在意識の方向を、大きく左右してしまう」と、そして「人間の運命は奥深い潜在意識が信じ、且つ決定した方向に素直に反応し、展開され行く・・・・」と結論されているのです。

 自らが選択した運命であり、人生の在り様であって誰を恨む理由は無いのです。しかし、これを理解し再指向することにより、運命を、人生の在り様を幸福の方向へ転換できるということです。

私達は、この心のから(・・)くり(・・)を正しく理解し、日常生活に活かすことが幸福な人生を築く第一歩でありましょう。

 

 もし現在の各自の姿に不幸や、病気や、失敗の恐れがあるとすれば、こうしたことを学び、理解し、時間をかけ行動し、努力していないだけであり、本質的には怠惰であり、真剣に人生を生きようとしていないことがあるのみです。

 

更に進めて、「信念とは何か」について論及されています。

 

 「信念とは確信であって精神的な一つの認識である。」

 「信念とは、五官(眼、耳、鼻、舌、皮膚)が我々に告げるものより高いところに存在する。」と述べています。難しい言葉です。

五官は物質界の外観だけを伝えるものであり、信念は見ることも出来ず、証明も出来ない何ものかについての確実性ともおっしゃっておられます。

五感(五官から生ずる感覚)を信じる人は外観にこだわる人である。

 1.人間それ自身も本来見えない存在。

 2.生命も見ることが出来ない。

 3.人の生命は物質ではない。

 4.肉体は自分の所有物としての存在。

これらのことから「自己を意識する主体は肉体を超えた実体」と結論されています。

  ●このことは先生の哲学的人間観の根本的考え方であり、これを受け入れなければ先生の全ての考え方は違ってくる重要なお言葉です。よくよく理解しましょう。

 

 この考え方を解説され、「勇気・元気の出る言葉」とは、

 「各自はその真の精神的自己を振り返り、彼自身を発見し、彼自身の実体を知らなければならない。彼は彼自身と知り合わなければならないのである。生命力の自覚ある中心としての人間は、如何なる事態にあっても、何をなすべきかを選ぶ偉力がある。それ故に五官を通して現れるような外界の何ものかの征服下や、また支配下にはないのである。」と。(極めて大切なこと)

 この事に心から信じ入ること出来るか否かで、人生の在り様は大きく変化すると思います。

 先生の最も基本的な考え方、立ち位置、思想の原点です。 

 更に具体的に説明され、

  「愛は誰も触れることは出来なくとも、実在することを知っている」

  「誰も見たことはなくとも、精神が実在することを知っている」

これらは見えなくとも実体であり、我々各自は身体を通して行動する見えない実体なのです。

「幸福への探求」に関しての覚書【第7回 行動を通して潜在意識の奥底に善の種を(3)】

【第7回 行動を通して潜在意識の奥底に善の種を(3)】

 「外側からのみ生活する人々は、五官が告げるものを以て、・・・事物の外観の影響のもと、また支配のもとにあると感じている我々が病気や貧乏などの外観のものから逃れることが出来るのは、生きた信念によるのみである。病気や貧乏などは体験には相違ないが実在ではない。」と結論されています。極めて大切なことで、このことが本当に理解できれば病気や貧乏(現象)から開放されるということです。幸福への心のあり方です。

  正しい信念、考え方、心の在り方を一刻も早く形成いたしましょう。

 

 前項の「世の中には優れた人とか、劣った人とかはいない。己自身を理解しない人があるのみ」であるとのお言葉をかみ締めて、現在の自身の在り様を本当の意味で理解するよう務めましょう。

 それには先生のお言葉、他人の忠告を一度は受け入れることです。そして、自らの信念を点検、修正することに全力を傾けることが緊要と思います。つまりは自らの人生を真剣に生きるということです

 社会的地位や業績や名誉は五官を通して表現された外観であって、体験であって、実在ではない。実在は我々の心、精神の内奥にあって目に見えない実体なのです。そしてこの見えない実体、真の自分自身に善なるものが真の善ということです。能力や才能はその人が現世で果たすべき役割の道具であって本質的価値にはなんら影響しないものであることを知らなければなりません。

  生きる本質的価値は外観には無いということです。そして先生が述べられていますように、その大生命力の偉力を各自が持っていて、それが我々を幸福へと導くということです。此処に信を置くことです。

 

 過去の講座から「勇気・元気の出る言葉」を挙げてみましょう。

「人間は、外郭的人間と其の人間の核(人格の中枢)は次元を異にして存在し、

 外郭的人間はー社会的責任を行なってゆくもので、肉体にまつわるところの行為の主体である。

  死後は外郭的人間の価値は全部消えてゆくのである。」

  

永遠の生命(人格の中枢、見えざる実体)に対してプラスになるものを、想念(行為の源泉、意 思、愛等)を蓄積することをー天に宝を積むーという。とあります。

このお言葉を繰返し繰返し反芻して心に刻みましょう。

 

 さて先のように先生は、此処まで極めて丁寧な解説をされておられますが、前に戻って、

「信念の再指向」とは如何なるものでしょうか。

 信念の再指向とは、不愉快な体験をしている場合、信念を違った方向に、違った結果に持ってゆくことが出来るとして、「不愉快な体験の中にも善い事を探すことによって、そこに善があることを知ること・・・それを見つけ出すまで維持することによって・・・その不快な体験を変えることが出来る。」と述べられています。

 これが信念の再指向であり、考え方を変えることなのです。

 

 つまり「現在の状態が不幸であっても、決して諦めてはならない。暗黒は光の乏しい状態であり、実在ではない。必ず微光があるはずである」と、それを探す努力をする事なのです。

「幸福への探求」に関しての覚書【第7回 行動を通して潜在意識の奥底に善の種を(4)】

【第7回 行動を通して潜在意識の奥底に善の種を(4)】

 

 多くの人々の通弊として、

1、 病的な信念や習癖から意識して選択しない。

2、 理屈のない恐怖をもって、全生涯を送ってしまう。(思い込み)

3、 何を信じるべきかを決定する努力をしないし、時間を掛けない。(怠惰)

人は他人に騙される以前に、自らに騙され結論を急いでしまうということです。

 

 これを克服するには、

「本来の自分の声(内心の声、良心の声)を素直に聞ける不断の修練が必要である」とあります。

 ●  課題:不断の修練とはどうすれば良いものか考えてみましょう。

 

  明るい積極的な信念を持つ為には、自分自身が真に善人であり、善い酬いを受けるに相応しい資格があることを、自らを信じられる人間になることであると述べられています。

  自らが幸福を望んでいながら不幸の体験を持つことは、自らの内心に自ら善人ではないという信念(たとえ謂れが無くとも)があることなのです。この信念を白日の下に顕わにして、再指向すること、また、強い罪障意識があるならば、悔い改めることがその信念を変えることになり、明るい未来を指向することになるのです。(第6項を参照のこと)

 

  その為には、「他人の為、世の為に真に打算を越えて真の愛情を持って献身することが、実はそのまま自分を幸福に導いている」とあります。

そして、「この行動を通して、潜在意識の奥底に善の信念の種子を播く事になるからである。」と述べており、これは生活綱領の「報酬の無い善行に幸福を見出せる人となろう」そのものです。

そして、「報酬を求めぬ善行が結果的には最も素晴らしい報酬を与えられる」と締めくくっておられます。 

●参考

  聖書は、

  「・・君たちの中で偉くなりたいと思うものは僕となれ」

  「第一人者になりたいものは皆の奴隷となれ」(ルカ伝から)と伝えている。

  イエスはこれを天国の奥義といっています。これは天に宝を積むことにほかならない。

  

 「情けは人の為ならず」は、生命の神秘を捉えて、我々に幸福への深遠な真理を告げていると、先生は最後に述べられておられる。これも天国の奥義そのものだと思います。

 「何時でも、何処でも、誰にでも真心を尽くせる人間になれ」「人に仕えよ」というお言葉そのものです。自己中心的な歪んだ信念を打破することです。

   

 幸福への第一歩は、先生の遺された見えざる世界、実在の世界の在り様を示された「勇気・元気の出る言葉」を素直に受け入れて、行動を通して見えざる人格の中枢に善行を積むことではなかろうか。 

「幸福への探求」に関する覚書 【第8回 潜在意識に愛と善意と信念を絶えず注ぎ入れよう(1)】

【第8回 潜在意識に愛と善意と信念を絶えず注ぎ入れよう(1)】

 

 前項では明るい積極的な信念、正しい信念をも持つ為には、自分自身が真に善人であり、それに相応しい資格の持ち主であることを信じられるようになるまで行動を通して報酬を求めない善行を積むことであるとして、「情けは人の為ならず」こそ、幸福への深遠な真理であると説かれました。前項に続いて極めて大切な事なので(1)〜(4)に亘って見て行きましょう。 

 此処では、改めて人間、心(精神)の構造を古井戸になぞらえて、顕在意識と潜在意識の関係を説かれて、如何にして潜在意識を濁りのない透明なものにして、表面の意識を純化して行けばよいのかを、その方法を解説されておられます。前項に併せてよくよく理解して日常生活に活用しなければなりません。

 始めに

「この動的な衝動を、意識的に正しい方向に向けないと、屡々悪い通路に流れ込んで、精神や身体の病気を惹き起す」とあります。

「動的な衝動」とは、以前に学んだ不安や、恐怖や、劣等感、挫折感、敗北感等の否定的情動(激しい感情)です。

「悪い通路」とは、後に出て参りますが、潜在意識に沈下したコンプレックスのある場所を指します。

 私達はいつも行動を起す時に漠然と行動をしてしまいがちである。それが失敗や挫折に繋がってしまい表面に現れた結果だけを見て不幸を嘆く現実がある中で、これを避ける為には、深く考え、正しく理解して、決定して行動を起すことです。「意識的に正しい方向に向ける」とはそういうことです。

そこでコンプレックスとは如何なるものでしょうか。

 潜在意識に潜むコンプレックスとは、心の中に抑圧されて意識されないまま強い感情を担っている表象の複合体、または、情緒的な観念(情動に同じで強い感情としての不安、恐怖、劣等感、挫折感、喪失感などが複合された考え)、心の傾向といっても良いと思います。(表象とは心像、イメージ)「これが潜在意識の中に這入り込むままに放っておくと・・・」とあります。

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「幸福への探求」に関する覚書 【第8回 潜在意識に愛と善意と信念を絶えず注ぎ入れよう(2)】

 【第8回 潜在意識に愛と善意と信念を絶えず注ぎ入れよう(2)】

 

 そこで先生は、人間の心の在り様を田舎の古井戸に譬えられて解説されておられますので、第1回の氷山に譬えた心の構造の模式図と合わせて参考にしてください。

 

○井戸の水面=私達の体験する場所。私達の顕在意識(意識する心)という。

○井戸の水面の直下=潜在意識と呼ばれ、不断は意識されない。諸々の体験、記憶 

 がしまわれていて必要に応じて汲み上げること(意識の表面に出せること)が出

 来る。

 そして、「水の柱が壁まで一杯に広がっていて我々自身の大きな部分、無意識的な部分が直接に大生命力の大海全部と繋がっている」と述べられ、また「それに溶け込んでいる」とも述べられています。(表面の意識は全体の五パーセントに満たない、残りは全て無意識の領域ということです。)

 体験とは必ずしも実在ではないことに注意を払いましょう。不可視なものを幻として体験することがあるが、それが実在であるかはその人の自覚量で、その表象が違ってくるということです。

「溶け込んでいる」という表現も微妙であって、心、精神は次元的に層をなして、その境界では繋がっている。(「溶け込んでいる」の表現は、正に先生の体験上での的確な表現であると考えます。)

溶け込んでいるからこそ、それを透明に浄化するのはなかなか難しいと言うことです。

 それではコンプレックス・情動の複合体はどうして形成されるのでしょうか。

 そこで意識の表面(水面)、或は顕在意識の水準で、知覚の体験を持つことは既に明らかとなった。

 例えば深い損傷の体験として、

家庭の頼りにしている一人を失うとか、財産を失うとか、大切なものを紛失するとか、身体に負傷して治らないとかの体験を上げられて、

 「その記憶は、我々自身の潜在意識、あるいは無意識部分へ落としいれる。」とされ、その後また別の損傷を受けると、その記憶も内心へ落ちて行って、先の損傷に付着する。後から後からと損傷が続くと、「それらすべての被害の不快な記憶は、一塊となって、自分は捨てられたというコンプレックス(悪い「悪い情緒複合)になる。」と記されています。

 これがコンプレックスの出来る過程である。

 

 日常生活に於いて色々な不快な事、例えば社会的立場からどうしても言えない事や、自らの心の弱さゆえに理不尽と思ってもそれを正すことが出来ない事、また理由もなく人に騙される事、また人生における取り返しの出来ない失敗など、悪い情緒複合・コンプレックスを作る原因は挙げれば切りがありません。そして、こうした抑圧された感情は、誰しも忘れてしまいたい、済んだ事だからと思って表面の記憶から消し去っても、実はその記憶は潜在意識乃至無意識の領域に落とし込まれただけで、いつも活性化を帯びて存在していると説かれています。これを「意識の沈下作用」といいます。

 このコンプレックスが「我々の幸福や、自分自身の正しい信念の妨げとなる」と。これらは大精神の働く方法を知らない為、又解決されずに置かれた為とされています。 

● 課題 大精神の働きとは、解決とはいかなる意味なのかを考えて見ましょう。

「幸福への探求」に関する覚書 【第8回 潜在意識に愛と善意と信念を絶えず注ぎ入れよう(3)】

【第8回 潜在意識に愛と善意と信念を絶えず注ぎ入れよう(3)】

 

 ではどうすればこのコンプレックスを解消出来るのでしょうか。

 そこで古井戸の譬えに戻され、

 「井戸の底(大生命力)から上がって来る清水は、劣等感や、恐怖や、心配や、 罪障感などの否定的コンプレックスの為に、その表面において、妙な色に着色されているのが見える。この色のついた水は水面(意識する心)の所で、病気、不幸、挫折、苦難などの体験となって現れる」とあります。

 

 この下線部分が極めて大切なところです。心の在り様が現象(病気など)となって来るということです。これを十分に理解しましょう。これを理解しないとその現象を逃れることが出来ません。

 貧乏や病気は体験ではるが実在ではないということを理解しましょう。

 

 ようするに、本来の自分自身(大生命力に繋がった大海)から湧き上がる純粋な意識(清水)は、コンプレックスを抱える潜在意識を通過したときに歪められ、水面(意識する心)上で不幸な体験として現象化するということです。

 悪い情緒複合は浮きカスとなって現象化する。これは想念の塊が現象化するということです。

 「天に宝を積む」とは、この悪想念を除去(エネルギーを消滅、消散させること、再生命化すること、正に想念こそ現象の根源ということで、三界は唯心の所現そのものなのです。)して、大生命力に直結することなのです。仏教が高度の深層心理学といわれる所以です。

 そして、これらから逃れるためには、信念(考え方・思念・観念)の再指向によってのみ可能であるということで、悪想念を消散するには信念を変えることである。信念の方向を正しい方向(心の自然法則・大生命力の働きに合わせる)へ向けるということです。

 

 先生はここで、

 「否定が優勢となっている思考の在り方を、何とかして信念、愛、善意、幸福などの肯定が優勢な状態に置き換えなければならない」と、これが「信念の再指向」であり、「明るく積極的な信念の形成」であり、「意識して正しい方向へ向ける」ことである。

 「大生命力の澄んだ流れが自分自身の底から上がって、水面(意識する心)に出て来る時は、透明で純粋であるようにしなければならない。」と記されています。

 更に、

 「大生命力が、上方に流れ出るまでに澄んで純粋な潜在意識の状態の所を通る時のみ、健康と美しさの流れとなる。」と。

 つまり前頁の「悪い通路」とは、濁った潜在意識の通路ということです。

そして、心の潜在的な部分から、このコンプレックスを掃除して浄化するには、「赦す」という事の何かの形が必要であると結んでおられます。

 更に繰り返して、

 「潜在意識に横たわる否定的コンプレックスは、我々の人生の表面に浮きカスを作って客観的な体験の全てを濁してしまう」と。「若し、我々が平和で、健康で、そして幸福に行きたいと望むならとありますが、心の底から求めているのか、望んでいるのかが大いに問題であって、「表面では望んでいても、内心で不幸を願っている」ことが問題なのである。

 だからこそ内心の分析、反省し心の自然法則を学ぶことに全力投球し、心底幸福を願う信念への変更が必要なのです。

「幸福への探求」に関しての覚書 【第8回 潜在意識に愛と善意と信念を絶えず注ぎ入れよう (4)】

【第8回 潜在意識に愛と善意と信念を絶えず注ぎ入れよう (4)】

 この結論として、

「それは信念の在り方を意識的に変えることによってである。」と記されています。

 そして、「善い事の力が絶えず我々の中に、我々の為に、我々を通して表現されることに信念を置く迄は・・・コンプレックスを取り除くまでは、我々の体や身の周りの事に、不愉快な体験が続くことになる。」と。

 我々自身や周囲には、善悪いずれにも自身が想ったように現象が現れることを肝に銘じなければなりません。結局願ったように人生は展開し、運命が形成されるということです。  

コンプレックスを取り除く方法について二つの方法を述べておられる。 

コンプレックスを心理的分析によって意識する心の表面へ引き出すことが出来るとして、

「劣等感に悩まされないために」の中で、「自分の触れたくないものを勇敢に切り開いて、露わにすることで、そのエネルギーは消滅して行く」とありますように、真に幸福を望むなら、この方法をとらなければならない。

 

●一つの方法は、

 「井戸の頂上から手を下して病根をみ、白日の光の中へ持って 来て、それを 理解することにある。理解と共に情緒的な内容のものは、消散してしまう。」と、これは達人の方法です。 

●もう一つの方法は、

 「愛や、善意や、信念や、幸福などを井戸の頂上から絶えず注ぎいれる方法である。」と、これは潜在意識の隅々迄見渡して掴み取るよりも案外早く潜在意識を浄化できるともおっしゃっておられ、我々が日常生活で出来る方法です。

 そして、「愛と信念と善意とをあなた自身のため、すべての人々の為に注ぎ込め」と激励されています。

 最後に「静かに坐り、心を寛げる時、あなたを害した人の事を思い始めるであろう。それは自然界が、その役に立たない不健全な記憶を除いてしまえと、あなたに告げる一つの方法なのである。」と、これが大精神が我々に働きかけ、潜在意識に否定的な考え方を植えつけないための方法なのです。

 

 先生が教示された深呼吸の方法は、大精神の働きを我々のものにする極めて大切な方法なのです。深層心理学的にも、それ以上の心の法則なのです。弛まず実行しましょう。(著作集の第8集参照)

 この複雑な社会機構とストレス社会を生き抜く為、また否定的考えから逃れる最良の方法なのです。

 

 此処まで七項目に亘って解説されてきたものは、この現代社会に生きる我々が抱く、不安や、恐怖や、劣等感や、それらが複合した抑圧された否定的な感情(コンプレックス)の原因を探り、人間の本質や心の構造を示し、顕在意識と潜在意識との関係、その働きを明らかにしてコンプレックスを除去する方法を示し、正しい人間の在り方に基づく哲学的人間観を示されたものです。そして解説全体に一貫して流れているものは人間に真の幸福をもたらす正しい心の在り方なのです。

 

 この他にも沢山の学ぶべきことがありますが、あまり文章が長くなることを嫌いますので、各々が繰返し塾読し、整理して、正しく理解し、従来の信念をより正しい信念に置き換えて行ってもらいたいと切に念願するものです。それがやがて本当の幸福に繋がって行く事を信じます。

「幸福への探求」に関しての覚書【第9回 愛が憎悪を中和することこそ心の基本原則(1)】

【第9回 愛が憎悪を中和することこそ心の基本原則(1)】

 此処からは、より具体的に心の働きを解説されると同時に、愛の力が深層心理に及ぼす影響を示され「幸福への探求」を更に進めておられます。

 アメリカの心理学者の報告に基づき、ある銀行の出納係の自殺をめぐり、その真相を探り、真実と

は表面にある現象に捉われていては分らない事、その人物の人生を遡及することにより、自殺に至った経緯を探求して、愛と憎しみが交錯することを示しています。

 

 前置きして「人間の行動を説明するものとして意識された動機が、アテにならないものであることを知っている人々は、案外少ないようである。」と記されています。

 つまり私達が考える行動の動機は表面的であり、アテにならないばかりか、その行動の動機はもっと深いところにあり、外部からどんな風に見えようとも、より複雑であることを知らなければならないということです。

 これから順を追って解説の要旨を見てみましょう。

 

 この出納係は、物静かで、愛想のいい、信用されている人物で町のすべての人に知られた人物である。自殺が発見されて後、何千ドルかの銀行の金の使い込みが発覚、そのことで友人たちはその事実が信じがたい中、 

 第1の理由=突然理性を失い、誘惑に身を委ねて、やがて悔恨の情に負けた。

       二、三週間後ある婦人と関係が判明し

 第2の理由=真面目な、結婚して子供までいる男が、名誉も何もかも忘れてしまった。

       彼がその女を養うため、金が入用で、女が彼を殺したと。

 少し思慮深い観察者によれば、明らかに正常で調和のとれた市民生活の中で、どうしてこのような複雑な性的事件が起こったのかを調査してみれば、

 第3の理由=妻の冷感症の故、二十年間も禁欲生活を強いられたことで、本当はこの女房のせいだと。

 先生は、これで事件全貌と悲劇の生い立ちが十分に解明されえたとは言えないとして、

彼が何故その女と結婚したのか、彼は彼女の情操的反応を変化させることが出来なかったのか、どうして彼は二十年間も彼女と連れ添ってきたのだろうか、という疑問を呈されています。

 

 そこで、彼を子供の自分から知っている人達が次のように事情を説明したと、

彼の母親は冷たく厳格な女で、子供よりお金のほうが大切にする女で、より気の利いた結婚相手を探すとか、女房を何とか上手に満足できるようにすることが出来なくて当然という説明であった。

此処で町の人達が至極簡単に自殺の原因を説明した蔭に、真の原因となる鎖を、かなり奥の方から手繰り寄せることが出来た。そして最初の動機が如何に表面的で、間違いだらけであったことが分かった。

 更に続いてみて見ましょう。

「幸福への探求」に関する覚書 【第9回 愛が憎悪を中和することこそ心の基本原則(2)】

【第9回 愛が憎悪を中和することこそ心の基本原則(2)】

 次に大切な記述があります。

 「しかし、単にその鎖を引き伸ばしさえすれば、動機が一層明瞭になると考えてはいけない。この鎖を手繰り出せばどうなるかと云えば、我々は単に誰の目にもはっきり分かる、外面的な資料を持っているだけのことである。新聞記事よりはいくらか詳しい・・・。彼は何故自分の人生を自殺という終止符を打ってしまったのかを説明するには、まるで何の役にも立たないのである。」と、また「我々に分かることは、この男がピストルを手にした時より遥かに以前から、また銀行のお金を盗んだ時よりもずっと前から『自殺を始めていた』ということだけである。」と述べられています。

 

 この記述から私達は、一人の人間の人生の歩みや、その在り方の真実を探り当てることが如何に困難であるかを知らなければならない。そして軽々に表面の現象だけに頼って人を判断することが如何に間違いであるかを常に念頭に置いて、人に対する信を養わなければならないということです。

 「限りなく人を信じられる」とは、正にその人の人生の真実を見極め、其処に温かい情愛を寄せることであり、育むことである。しかし間違ってはいけない。同情や甘やかすことがそれではない。

 先ず自らが真実を見抜く力を養いつつ、真実の愛を身に付けることであると思う。

 

 続けて、

 男がこのように人生に対処することが、

1.先天的な体質の加減、異常性、弱さ故なのか

2.性格が形成される時期に、破壊的な傾向が増進し、強力に補強された故なのか

 「何れにせよ、この両者の一つによって決定されたと仮定するか、或は全くこれ以外の原因があると考えてもよい。」とあります。

 それでは私達はどのように判断すればよいのだろうか。

 結論として、

 「何れにしても、その人がまだ幼い自分に敗者となる傾向が発芽し、この傾向が、彼の発達の全コースに強い影響を与え、温和な生本能に暗い影を投げて、遂にそれを征服してしまったことは明らかである。」と記されています。

 

 此処で前にも記されているように、如何に幼い時の心の歪み、心の痛手がその人生全般に亘って重大な影響を及ぼし、その人の運命を決定付けるかを改めて考えなければなりません

 両親の子供に対する姿勢が以下に大切かを改めて考えさせられるところです。(この後の記述についても同様ですので、よく理解しましょう)

  

 次に「自殺」について、

1.心理的には自殺は非常に複雑な問題であること

2.決して、簡単な偶発事件ではないこと

3.合理的乃至不可解な動機から突発する、孤立したものでないこと

 そして自殺は「自己によって行なわれる殺人」であり、この死の中に殺す人と殺される人が結合している特殊な死であること、「死ぬこと、殺すこと、殺されること」の三つの内面的要素があると解説されています。

「幸福への探求」に関する覚書【愛が憎悪を中和することこそ心の基本原則(3)】

【愛が憎悪を中和することこそ心の基本原則(3)】

 

 次に、幼児の心の中に起こる恐るべき破壊的本能について解説されています。ゆめゆめ幼子を侮(あなど)ってはならないということを理解しましょう。

 

 「破壊的本能は、それは殆んど生まれ落ちる瞬間から、激怒と共に外面に向けられた攻撃となって現われる。」と記されています。そしていとけない赤ん坊であっても、邪魔をしたり、願いを挫くようなことによって深く恨みに思い、抗議しようとすることも述べておられます。

 人の親に成る事の重大さ、その原点である結婚について深く考えて見る必要があると共に、愛情を以て適切な忠言が出来るように学ばなければならないと思います。既婚者ならなお更の事です。

 

そこで幼児の示す反応は、

 競争者が接近した時、満足した授乳がいきなり取り上げられたりした時、自己防衛を計り、其の時攻撃的衝動を発動させ、この衝動に伴って、怨恨や恐怖の念が生じるということです。

 ここでいう恐怖とは、復讐その他の結果を恐れる気持ちのことで、その結果として残るものは、取り上げられるという脅威の根源、即ち恐怖の対象者を除去したいと思う願望である。

 この場合、除去する、追い払う、処分する、全滅させるなどは「殺す」という願望に集約されるとの事です。(愛の創造を参照して下さい)

 しかし「この攻撃性はさまざまな積極的な感情と入り混じって緩和される」とあります。

 

●  課題=この積極的な感情とは如何なるものなのかを考えて見ましょう。

 

 そして前の男の話に戻って、

 「殺人の代わりに自殺が計画されて行くのである。」と記されています。

 次の記述が最も大切なところで、

 「幼年期における色々な怒りや、恐怖を起させるような外来の刺激は、その時から他殺または自殺の計画を助長させ、その成長後に人間の破壊的傾向を強め、建設的本能を弱化せしめて、他殺または自殺を成就せしめる原因となって行くのである。」と記されています。

 

 私達が今後、新聞や雑誌を見てそうした記事に接した時、表面の現象に捉われる事無く、その人の全人生を考え、犯罪とは別に憐れみの心を以て、そうした不幸が起こらないよう自らの責任を自覚し、そのように務めてこその私達としてとるべき心の姿勢ではなかろうか。

「幸福への探求」に関する覚書【第9回 愛が憎悪を中和することこそ心の基本原則(4)】

【第9回 愛が憎悪を中和することこそ心の基本原則(4)】

 

 改めて幼児期における両親と子供の関係性が、子供のその後の人生に重大な影響を及ぼすかが分って参りました。 

●  参考:次のような興味深い文章があります。

 出生直後の一時間、新生児の精神は機敏に働く極めて敏感な状態にあり、記憶と学習能力が高まっています。この一時間から母子双方に「お互いに融合した一つのもの」という一体感が発生し、そこから子と母親に対する絶対的信頼が生まれ、母親それを限りなく受けとめる状態、即ち子が発する解発刺激を全て受容する用意が芽生えていくのです。子の人生において最も重要な一時間であり、母親が母になっていく出発点なのです。(田下昌明 子育て支援塾 第147回から )

 

  先生の「勇気・元気の出る言葉」を挙げて見ますと、 

「子は天からの授かりものでなく、預かりものである。ましてや子供は作るものではない」と、

この事を理解し、其の始めである結婚の正しい在り方さらに大切な事を理解しましょう。

               (後の項に出て参りますので参考にしてください) 

 ここで発展的に考えて、間違ってはいけないと思う。たとえ他殺や自殺に至らなくとも、犯罪や、人生の諸々のトラブル、健康上の問題、夫婦間のトラブル、病気等など、自他を破壊して行く行為は全て自己破壊であり、人生の遠い過去における心の歪みが、そうした人生の解決困難な問題や、病気等を惹き起すことを知らなければなりません。播いた種は刈らなければならないということです。

 どのように言い張っても、人生の全コースにおいて自己を破壊しようとしてきたことは弁解の余地は無いということです。若しそのことに気が付いたら深い反省が必要ではなかろうか。

 

 もうひとつ申し添えれば、往々にして精神が高潔ならば、肉体はどうでもよいというような考えに陥りがちであるが、そうではない。「健全な肉体に健全な精神が宿る」のであることを疎かにしてはなりません。心と同じように体を大切にするということです。(偏狭な精神主義を排さなければならない) 

 こうした心の歪みを是正するためには、前の項にもありますように、悔悟と転信を以て、意識して正しい積極的信念、愛、善意を自分と全ての他人の為に、絶えず心の奥深くに注ぎ入れる外に解決の方法は無いということです。

 そして最後に、この攻撃をにぶらせるものとして、「愛している人を殺すのは困難」という意味で、愛と憎悪とはその組み合わせの種種な変化(交錯)があるだけで、いつも共同動作をしているとして、「愛が憎悪の後からついて行って、後者を中和してしまう」これが「心の基本原則」であると締めくくられています。

 私達はこの「心の基本原則」を常に踏まえて、常に愛(真心)を以て人に接し、またその想いで、人々の憎悪を、想念を中和することが求められていると強く思います。

 「どのような小さな善行でも、天地の経綸に役に立つ」とのお言葉、私達の善意や愛の想念がこの宇宙に広がって、人々を、社会を明るく豊かなものに変えて行くのです。

「心の基本原則」を忘れないように致しましょう。

「幸福への探求」に関しての覚書 【第10回 心の葛藤を清算して病を治そう (1)】

【第10回 心の葛藤を清算して病を治そう(1)】

 此処で前項のまでのおさらいをして見ましょう。

●心の構造には表面の意識(顕在意識・意識される意識・意思といっても良いと思う) とその下層に潜在意識(普段は意識されない意識)が、更に無意識(完全に意識されない意識)が、更に最下層に宇宙意識(大生命力に繋がる意識)があることは、既に古井戸の譬えで明らかとなりました。

●大生命力が表面の意識に上がってくるとき、潜在意識に溜まった浮きかす(悪い情緒複合・コンプレックス・歪められた感情)を通過するとき歪められ、表面の意識で病気や不幸、挫折、苦難などの体験となって具象化することも分かりました。更に透明な潜在意識を大生命力が通過するときのみ、それは健康な美しいものとなって、現象化つまり善い体験となって現象化することも分かりました。

●したがって何より大切なことは、潜在意識を、濁りと歪みの無いものにするということです。

 その為には二通りの方法があり、私達が日常生活で出来る方法として、意識して澄んだ意識を注ぎいれて、潜在意識が完全に澄み切るまで継続するということで、愛と信念と善意を自分自身のため、また全ての人々のために注ぎ入れ、体験を善いものにすることが大切であることが分かりました。

 

 そこでこの九項以降からは、具体的事例を以て、コンプレックスの原因が歪められた愛の葛藤にあることを明らかにして、愛の姿を本来の正常な姿にすることが幸福への源泉であると説かれています。

 愛とは大生命力そのものであると思います。それは先生のお言葉から明らかです。

  「人間の本質は、即ち愛である」

 「愛は神に淵源し、愛は神格より出ずるものである」

 つまり愛は宇宙意識・大生命力・人格の中枢から流れ出る人間の本質的在り方、行動の源泉なのです。

 現代のあらゆる不幸の原因の根本には、正にこの人間の本質を閑却したこと、現象の背後に愛と憎しみ(歪められた愛・自己破壊的衝動)の交錯があることに気付くのです。

 以下、先ほどの心の構造を踏まえながら、その愛憎の葛藤が私達の精神や、身体、生理に大きな影響を及ぼしている姿を見てみましょう。

 アルコール依存症、タバコ依存症等、分かっちゃいるけど止められない行動が 精神的にも肉体的にも私達の人格を蝕んで行くことが現代医学の知見で明らかとなっています。

こ の項が進むにつれて、これらの病気の原因がアルコールやタバコにあるのではなく、こうした毒物や自ら破壊するものを欲しがる心の歪みに起因し、心の歪みは、歪められた愛憎の交錯に深い原因があることが明らかとなって行きます。

 以前にも述べられておられるように、大生命力からの美しい善いエネルギーは、コンプレックスを抱えた潜在意識を通過するときに歪められ、表面に悪い体験となって現れるわけですから、潜在意識ないし無意識にある歪められた感情を取り去ることにより、健康な意識となり、それが精神的にも肉体的にも健康になって行くというカラクリが分かるようになるわけです。これが先生の言われる再生命化です。もともとの大生命力は創造的エネルギーでありますから、このエネルギーを創造の方向、即ち本来の姿に戻すことを再生命化するということだと思うのです。愛はもともと美しい姿であり、善い姿であり、創造的エネルギーなのです、それは愛が大生命力に淵源するからです。

「人間は本来善である」

「幸福への探求」に関しての覚書 【第10回 心の葛藤を清算して病を治そう(2)】

【第10回 心の葛藤を清算して病を治そう(2)】

 具体的事例を見てみましょう。

 此処では胃潰瘍は完全な心の病気であるとして、「全消化器系の疾患の約七割は心理的な原因である・・」と、一項でも出てまいりましたが、不安定な心理が持続すると、自律神経の失調を起し、猛毒のアドレナリン(心筋収縮を高め、血管収縮、血糖上昇などをきたす)の分泌が異常に高くなることを述べておられる。心臓病、高血圧、糖尿病などの原因。

「消化器管を通して、生理学上のみでなく、心理学上の諸目的が達成される・・・」と、

此処で重要なことは、

「胃が悪いということが主な疾患となっている患者の場合には、その殆んど全ての人が、愛されたいという異常に強い欲望を持っており、しかもこの愛して貰いたい願望は、その目的達成の手段として、小児的な型のものを負っている・・・」ということです。

そして「口愛型の渇望の反動として、その反対の誰にでも刃向って行くような独善的な傲慢な態度が見られる」

●世話をやいて貰いたい、看護して欲しい、食べさせてくれ、保護してくれ、愛されたい、母親のように振舞って貰いたい、自分のために尽くしてくれ等の願望が極端になり、暴力的になり、この渇望が即胃腸病という形で表現されるということです。

 そこで本文からその要旨を取り出してみますと、

1.抑圧された受身的諸傾向は、胃に対して慢性的な精神上の刺激となり、それは生理的 状態とは全く無関係な情緒の軋轢にその源を発して、神経質な胃、胸焼け、ゲップ、上腹部疾患などの症候を生む。その結果、胃潰瘍までに発展する。

2.妊娠中の婦人の悪阻、眩暈、嘔吐、不眠、食欲不振などの所謂妊娠中毒症もまた心理的原因の病気である。この事は何度となく講演や講座でもおっしゃっておられますので、お分かりと思いますが、正に愛憎の交錯による、父親に対する恨みの心が、夫に投影され、その夫の子を産みたくない、つまりは排除、或は除去、とどのつまりは殺すという潜在意識の要請によるものであることは既に明らかとなっています。この心の葛藤を清算しなければならないということです。

 「また処女の倫理は純潔を守ることにあり、結婚の倫理は処女を捧げることにある。」と記され、

「これは、独身女性と人妻との間には、生活原理には次元的差異のあることを示すものである。」と記されています。

 「所が結婚生活に於いても、この生活原理の切り替えが出来ないままに、依然として独身女性の倫理を潜在意識的に持続する女性が多いのである。」と、

 此処で大切なことは、「生活原理の切り替え」と、「潜意識的に持続する」ということです。

 生活原理の切り替えは、結婚に限ったことでなく、私達の人生全般に亘って共通するもので、その為に不幸を招くか、不幸から逃れられないということです。したがって先生が私達に、「生命の原理を学びなさい」、「精神界の自然法則・心の法則を真剣に学びなさい」、「私の言う生活原理を素直に受け入れなさい」とおっしゃった理由がここにあるのです。私達は先生の示されたこうした生活原理、法則、真実を未だ学んでいないか、学びが不十分か、或はそれを受け入れずに、自らの歪んだ生活原理・考え方・信念を、今だに捨て去ることが出来ずにいるかの何れかであるということです。

 潜在意識的に持続するということは、つもりと事実が違うということで、表面の意識と潜在意識との間に乖離があることで「自らに騙される」ということです。表面では幸福を願いながら、不幸な体験を続けるという事です。(心の構造と働きについて理解しましょう)

「幸福への探求」に関しての覚書 【第10回 心の葛藤を清算して病を治そう (3)】

【第10回 心の葛藤を清算して病を治そう(3)】

 「女性は最初に身体を許した男性を憎みつつ愛する」つまりは完全な女性になっていないということです。愛と憎しみを同じ対象に向って同時に投げかけるという厄介な精神状況ということです。

 此処に心の葛藤が生まれる訳で、この葛藤を清算しない限り、不幸な体験が続くということです。

 それならば、この葛藤を生産出来ないのかといいますと、前の項でも述べられていますように、愛や善意や積極的な信念を意識的に心の中に注ぎいれることにより、次第に葛藤が緩和され、遂には其処から開放されるということです。

そ れには真実の愛、善意、信念とは何かを学び、理解しなければ出来るわけがありません。このことが従来、疎かにされてきたということです。

 

 幼少から父親に対しての恨み憎しみを抱いている場合、

「自分の夫を父親の代償として取り扱い、これに拍車をかけて、深い恐怖心から、憎しみを抱いている男性の子を宿すことを拒否するようになる・・・・」

結果として

「自律神経系は、この潜在意識的要請に従って、素直に反応して行動を起し、自己保存の本能から受胎した胎児を異物として流産させようとして、妊娠中毒現象を起すことになる。」と明快に記されています。そして「結婚にとって、正しい愛情が如何に大切であるかが、改めて痛感される・・・・」と、

最後に、「幸福な結婚生活を送る為には、結婚前に、生命の原理を深く理解し、普遍的な愛を身につけることが何よりも肝要である。」と結論付けておられます。

 

●  課題、正しい愛情とは何か、普遍的な愛とは何かを考えて見ましょう。

 付録

 結婚について、先生からお伺いした「勇気・元気の出る言葉」を挙げてみます。

1.結婚前に自らの性格、感情傾向をよくよく理解すること、お互いの感情傾向が相容 

  れないものであれば、結婚によって不幸になること。

2.結婚に当って、相手の名誉、社会的地位、学歴、財産、容姿などに惑わされないこ 

  と、相手の姿を直視すること。

3.相手の良い点より、欠点を見ること、そして十分に理解した上で、それを自らが容

  認出来るかを慎重に判断すること。

4.紹介者が社会的地位や名誉を持っているからといって其の事に縛られないこと。

5.自分の人生を託せるかを、客観的に判断すること。

6.つりあいを考えること。家柄なども大切な判断材料ではあることなど等。

7.出来れば離れたところに住む相手のほうが好ましいこと等など。

8.宗旨の有無(各人が背負う全ての無形の存在と深く関わり、極めて重要事項)

 

 こうしたことは、結婚する人間が、精神的にも、肉体的にも大人になっていることが大前提であるということです。これなくして、幸せな結婚はありえないし、結婚生活が我慢のものとなって、やがては心理的にも、肉体的にも前に述べられたように、双方が不幸を呼んでしまうということです。

「幸福への探求」に関しての覚書 【第11回 愛の欠乏感が口愛型人間を生む(1)】

【第11回 愛の欠乏感が口愛型人間を生む(1)】

 

 此処では愛憎の交錯が、心理的にも肉体的にも色々な病気を惹き起す事を、具体的事例を以って述べておられます。

 先ずコンップレックス(悪い情緒複合)についておさらいしてみましょう。

 第七項に「不成功に終わった事や、失業の記憶を潜在意識に送り込むと(忘れてしまいたい、済んだことだと表面の記憶から正しい理解を伴わずに無造作に消し去ること)、この人々は劣等感というコップレックスになる。解決されずに置かれたコンプレックスは、我々の幸福や、自分自身の正しい信念の妨げとなる。最初の損傷は、感情によって荷電(本来は電気を帯びるの意味ですが、此処では活性化とか、動的、情動的な力と理解したほうが良いと思います。)され、同じ体験の幾つもの記憶で、最初の損傷と同じ所へ送り込まれたものは、潜在意識の中に否定が優勢な心の状態を作り、コンプレックスが形成されるのである。」と記されています。

 極めて大切なこと法則性のものですから、記憶して理解しましょう。

 

 ようするにコンプレックスとは、挫折の記憶だけでは力を持たないが、感情によって活性化された歪められた感情記憶ということです。 

そして、「コンプレックスは、深く根をおろした潜在意識の中の感情で、普通不愉快な、或は曲解された体験の連続に基づいて形成され、潜在意識に押し落とされ、そこに埋められたものである。」と明快に述べています。

 ですから、このコンプレックスは消失したのではなく、表面の意識から消えただけで、感情として活性化して潜在意識に留まっているだけで、十分に時間が経過した中でも、同じ体験の場面に遭遇すると、それが表面に現れて来るということで、表面的に平静を装っていても、直ちにその感情記憶が潜在意識から押し上げられて、忌まわしい体験や、不幸、病気、挫折、苦難の体験となって現れるということです。(このことを正しく理解しましょう)

 このコンプレックスを除去する為の方法については、全て、正しく理解、赦す行為が必要である事は、既に学びました。(第七項を参照願います)

 こうしたことを念頭に置いて本題に入りましょう。

 人間には内因性刺戟という深い絶え間の無い渇望があるとされ、人体のあらゆる器官や筋肉などに伝達されるとして、これが原因で、麻痺、腫物、痛み、痙攣などが人体のどの部分にも起こり、それが心理的要素と直接に関連している場合があるとしています。

一例としてヒステリー性盲目などがあり、眼の病気は本人が自覚していない強力な罪の意識(内因性刺戟)が原因となっている場合があるとしています。(実例は本文参照のこと)

 更に深めて、視力が正しくないことにより、頭痛、痙攣、不眠症、神経痛、食欲不振、便秘、貧血、扁桃痛、様々なヒステリー症状などで「その人が(心理的要素)を持っている時に始まるが、本人は殆んどこれに気付かない・・・・」とあります。(内因性刺戟と心理的要素を理解しましょう)

 そこで口愛型の人間とは、

1.精神的に欲求不満がある場合、特に性的欲求不満の場合など、愛情の欠乏が過食症などを起す。

2.ご婦人方の井戸端会議、社交の場での饒舌さもまた性的欲求不満や、愛情の欠乏感が心の奥底に深く潜在している。

 (このことに、本人は全く気付いていないことが問題になる)

「幸福への探求」に関する覚書 【第11回 愛の欠乏感が口愛型人間を生む(2)】

【第11回 愛の欠乏感が口愛型人間を生む(2)】

 

 つまりは性に関係する器官を用いて果たすべき機能を、消化器系統の器官を用いて行なう、愛を求める形式が口唇を用いる時代まで退行しているということです。(幼児期まで退行している)

 そして「口愛型と称する人間の型に特有な状態で、これはまた経口的攻撃に関連して起こる罪悪感の為に、我と我が身に加えた自己懲罰と考えることが出来る」と記されています。

 内面にある抑圧された攻撃性の代償として起こる現象で、その攻撃性を中和しようとする行為にほかならないということです。これが本人に全く気付かれていないということで、自分は悪い想いを持っているので、そのことに対して自らを裁いて、罪無しとしたいという心理的要素が働いているということです。それが昂ずると、先ほどの内因性刺戟となって色々な症状を示すということです。

ですからある意味では、そこまで行かないための防御反応ともいえるかと思います。簡単に言えばストレスの解消ということです。

 

 ヒステリー症状は女性に特有なものであるが、元来、ヒステリーとはドイツ語ですが、語源はギリシャ語でヒステリアと云い、子宮を意味しています。古来女性に多くみられた症状なので、女性に有って男性に無いものといえば子宮であるので、子宮がこの症状を起していると考えられたためです。

 

 ヒステリーとは、神経症の一つの型で、劣等感・孤独・性的不満・対人関係などの心理的感情的葛藤が運動や知覚の障害などの身体的症状に無意識的に転換される反応で、歩行不能、四肢の麻痺、痙攣、自律神経失調、皮膚感覚鈍麻、痛覚過敏、失声、嘔吐など多彩で、健忘、昏迷、などの精神症状を示すこともあり、いずれも、他者の注意を引き、その支持を期待するという合目的性が本人が意識しない形で含まれると見られる。これらの症状が急に起こる場合をヒステリー発作という。(広辞苑から)

 先に記されていますように、いづれにせよ我々の心の奥深くに潜んでいる情緒的葛藤が内因性刺戟となって、その渇望が身体的に表現されたものである事は間違いないと言うことです。

 そして、これが心理的表現をとるか、肉体的表現をとるかは別として、ようするに愛されたいという強烈な内因性刺戟、渇望が極端に表現されたもので、愛の欠乏感から来るということです。

 これを解決するには、十分な愛情を注ぐ意外に方法が無いということです。

 そこで、自らがその傾向を正しく理解し、意識して、

 第六項の「人のため、世の為に真に打算を超えて、真の愛情を持って献身することが、実はそのまま自分を幸福に導いている・・・・」、第七項の「愛と信念と善意とをあなた自身のため、またすべての人のために注ぎ込め・・・・」というように行為することなのです。 

 そのためには、正しい愛情の在り方、真実の愛とはどの様なものなのかを一刻も早く真剣に学ばなければなりません。 

ヒステリー症状について、自分を振り返ってみましょう。

 私達の体験でも、相当の社会的地位や学識や、年を重ねても、プライドを傷つけられたり、たとえそうでなくても思い込んだ時には、全く錯乱状態になることを何遍か経験しているところで、身体的表現の時はなかなか判り難いが、心理的表現の時には比較的分かり易く、本人にはそれが生活習慣と傾向になっているので全く気付いていない。そして周囲から少しでも同情や同意が得られれば、時間と共に症状は消え、立派なご婦人にもどるのである。(神経症的病弱型の傾向でもある)

 これは外部の客観的調整では如何ともし難く、内部で調整即ち真の愛に目覚めるしか手がないということです。「三つ子の魂百まで」、だからこそ心の自然法則を真剣に学ばなければならないのです。


「幸福への探求」に関しての覚書 【第12回 人生の幸福は正しい愛の在り方から(1)】

【第12回 人生の幸福は正しい愛の在り方から(1)】

 前項で「愛の欠乏感」が、私達の人生の歩みを不幸なものにしてしまうことを学びました。また、併せて、自分の遠い過去の意識の底に沈下した深層意識が、己の運命を作り上げて行くことも学びました。

 此処では、更に神経症的傾向の強い女性が結婚するとき、父親に対する憎しみ(愛の錯綜)の度合いが人生を不幸に導くこと、正しい愛の在り方によってのみ、人生の幸福が実現されることを記されています。

 現代は精神病の時代であり、精神的な原因が重要な因子をなし、急激なショックか、慢性的原因の鬱積の差があるだけとして、精神病乃至神経症的疾患は巷に溢れ、大都会の住民の三分の一は精神病患者であり、唯、入院しているか、していないかの違いに過ぎないと述べられています。この傾向は最近では益々拍車がかかっている事は、私達も感じているところでしょう。

 また「機械文明の発達と、社会機構の複雑化に従って、日常生活に於ける精神病理学的現象は、枚挙に暇がないほど巷に溢れている。深く我々の意識の底に沈下した病的素因が、どんなに個人を、家庭を、そして社会を暗黒なものにしていることであろう」と記されています。

 我々の周囲に起こる出来事や、新聞、テレビ等で報道される信じられない事件の背後に、本来の人間性、生命の法則を無視した生き方から来る心の歪みや、愛憎の錯綜があることを観なければなりません。

 私達もまた例外者ではなく、人生のタイトロープを渡っていることを心しなければなりません。そして仮にも以前より幸福な人生を歩んでいると実感しているならば、その恩恵に感謝を捧げねばなりません。一方、今が不幸だと感じているならば、自身が生命の法則に反していることが在るのではないかを深く反省して、一刻も早く心の方向を正しい方向に転換しなければならないと思います。

人間の存在は本来善である。故に善き事をせねばならない。そして、それを人間自身が良く知っているものであり、それに外れたとき、自己裁きとなって顕れてくる」の真理の言葉をしっかりと心に刻みましょう。

「更に男女押しなべてそうであるが、特に女性に於いては神経症的傾向が著しい、唯、自覚しているか、いないかの差だけである」と記されています。

 生物学的には女性の方が高級で、妊娠、分娩の天意を実現するために起因するとして、また女性は高級なだけに壊れやすく、幼少のときから豊かに育てないと女性が壊れてしまうともおっしゃっておられ、一方で男性は麦踏みを十分にしてそこから立ち上がる強さを身につけることが大切ともおっしゃっておられました。昨今の草食系男子、肉食系女子などといわれている事は、本来の姿から逸脱したものと思われます。やはり、男性は女性の豊かさに引かれ、女性は男性の強さに引かれることが自然ということでしょう。

 また、女性が妊娠、受胎に際しての性別を決定する因子として、男性の二種類の精子が関係し、この二種類の精子のどちらを選ぶかの決定は、いつに女性側の生理的受け入れ態勢で決まってくるとしています。(詳しくは本文を参照のこと)

 更に大事なことは、

女性の側に、幼少時より男性恐怖症的傾向が存在する場合は、(主として父親への憎しみによるもの)は、女性の身体的受け入れ態勢が、男性となる精子の受胎を忌避する・・・・」そして「自分の表面の顕在意識が、男の子を欲しいという希望、または欲求があるにも拘らず、心の奥底の潜在意識によって命令された通りに、自律神経系は、素直に反応して、生理的に男性となるべき精子を受けいれない体制を作りあげている・・・・・・」とあります。

 将に他人に騙される前に、自分に騙されている」ということです。

「幸福への探求」に関しての覚書 【第12回 人生の幸福は正しい愛の在り方から(2)】

【第12回 人生の幸福は正しい愛の在り方から(2)】

 

 我々の遠い過去の記憶、体験が心の奥底の潜在意識に沈下して、表面の意識とは違った行動を取るという実際の事例です。

潜在意識的には、自分の夫は、父親の代償作用をなすのがつねであり、父親を憎む心を秘めている時は、潜在意識的には夫を憎むことになる・・・・」心の法則を学びましょう。

 しかし、実際における性別の決定は、食物の嗜好、栄養、肉体的労働条件、日光光線の照射度、更に重要なものとして、遺伝、カルマ(魂の歴史)などが在るとしていますが、それらは原因ではなく、目的を達成するために用意された必要条件であって、目的ではなく、手段に過ぎないとも記されています。

つまりは全てが用意されて、目的が果たされて行くということです。(三界は唯心の所現)

 

「両親に対して幼少より深い恨み、憎しみを持つ場合は、結婚そのものに対する不信を抱き、結婚本来の目的の種族の保存を拒否し、自らの病気やその他の方法を通して、不妊症となるべき状態を作り上げてしまう」とも念を押されて記されています。

 そして、「生命の原理は、親子関係に於ける正しい愛の在り方に依ってのみ、人生の幸福が実現されることを物語っている。」と。 

●課題 親子関係における愛の正しい在り方とは如何なることかを話し合って見ましょう。 

 結論として、

 先生が私達に何度となくおっしゃっておられた、結婚が人類の福祉と世界の平和に如何に重大な影響を持っているのかを覗わせるとして、「未婚者はもとより既婚者も、また改めて結婚の重大な意義を、更に深く認識して、生命の法則に違わざらんことを期すことが肝要である。」と結論づけています。

 私達は、結婚が社会を構成してゆく、国家、世界を形成してゆく、あらゆる文化、文明を形成してゆく根本の成因であることを理解し、それに相応しい子供達を世に送り出せるよう、何度でも正しい愛の在り方を、結婚の意義、目的を学び、理解し、自らを幸福な人生へと導いて行く責務があることを知らなければなりません。また前述のような生命の原理を多くの人々、これから結婚して行こうとする青少年に的確な忠言が出来るよう自らを啓発する責務を負っていることを、改めて認識することが緊要でありましょう。

 結婚によって不幸になる前に、また結婚後に人生に躓いているならば、自らの真実の愛の乏しきを憂い、真実の愛を身につけるよう渾身の努力が求められていると思います。

 

●先生は、病気の八十五パーセントが心因性であり、尚且つ病気には四つの原因があるとして、生理的原因、精神的原因、生理的なものと精神的なものが混合した原因、更に霊的原因(霊的なものは潜在意識に溶け込んでいる)を挙げておられる。この中、霊的原因については我々に歯が立ちません。しかし、後の原因については少なくとも生命の原理や、心の自然法則を学んで改善できる余地があると思います。医学的処置と相俟って心の在り方を正して、心身ともに健康になれるということです。

 泣き言や言い訳は、自らの神経症的傾向と、先生が私達に師表として示された生活原理、生命の法則や心の自然法則を知らないか、真剣に学んでいないことの告白でしかありません。

「幸福への探求」に関しての覚書 【第13回 アルコール中毒症と口愛型性格(2)】

【第13回 アルコール中毒症と口愛型性格(2)】

 

 そしてアルコールが切れている間は、

1.自分を破壊しようと思っていること

2.自分の無能力、罪の深いこと、何事にもその資格が無いこと

などを考えていて「アルコール中毒それ自体は病気ではないが、病気(根本的原因)から免れる為の自殺的逃避であると考えることが出来る。」としています。

その根本原因について

「子供の頃、無念やるかたのない失望や、忘れたり、赦すことの出来ない失意を経験している」と記されています。(この事についてはさらに具体的に記されています)

この事はアルコール中毒者に限ったことではなく、幼少時の心の痛手、愛の欠乏感が、深く潜在意識に沈下して人生を通して、常に無意識のうちに歪んだ行動の様式を作り上げてしまうのです。

神経症的病弱型の人、常に消化器系の疾患を抱えている人など等、私達は先生が示された心の法則、生命の原理、精神界の構造を学んで、こうした心の歪みに気付いて、自覚して、正しい愛の在り方を身に付けて、人生を明るく豊かなものに変革して行かなければなりません。

 アルコール中毒者は、

1.陽気で、人付き合いがよく、おしゃべりな連中で自分に非常に人気が出るように仕向ける

  その為に何処へ言っても愛想良く、人気を博する為に、一方ならぬ苦労を重ね、他人に好まれたいという度の過ぎた願望ゆえに、常に心 

  の底に不安定感が流れており、この感情を絶えず否定され、補償され、麻痺させておかなければならない為の飲酒なのである。

 

 此処でちょっと難しい結論ですが、

「この種の不安定感や劣等感は、現実の世の中で、自分を周囲と比較してみて、この結果として生じるというよりは、自分が自覚していない(不合理)な理由から来ることが多い・・・・」としています。

そして続けて「一般的に言って、それは非常な願望の挫折と、それに対する激怒、並びにこの激怒が醸し出す恐怖と罪悪感から来るものである。」と記されています。そして「このような事は本人は勿論自覚せず、無意識なものである。」と結ばれています。(他人に騙される前に、自らに騙される)

 この事が事態をさらに悪化する原因となり、我と我が身に加えた自己懲罰となるのです。

 この人達は失望や失意があまりにも大き過ぎるので、彼のパーソナリティーの発達を阻害し、一生涯「口愛型の性格」といわれる特質を持ち続け、飲酒は典型的な小児的復讐反応なのです。

 再び繰り返されて、アルコール中毒者には、

1.情緒の相克があり、愛と憎しみが入り乱れて相争う所に、経験した大きな失望がどんなものであったかを示す縮図がある。

2.子供であった頃の不可避的な失望を、親達が故意にしたのではないにしても殊更強い事実が存在する。

 子供に過度の期待を持たせたり、与える積りで現実の事情に阻まれて、与えられなかった事が、子供の失望を必要以上に大きくしているということです。

 こうしたことから、子供を育てる際、親として正しい愛の在り方を、生命の原理を身に付けてから親になることを示唆していると同時に、細心の注意を払う必要があることを物語っています。

親の責任は極めて重大であり、前項の「生命の原理は、親子の於ける正しい愛の在り方に依ってのみ、人生の幸福が実現されることを物語っている。」と記されています。

 

 

「幸福への探求」に関しての覚書 【第13回 アルコール中毒症と口愛型性格(3)】

第13回 アルコール中毒症と口愛型性格(3)】

 

 先生は親の愛情の在り方について、

「親から愛され過ぎて駄々っ子になった人間がいるのかどうか。此れは大変に疑問である。」

「桁外れの親の愛情と言われるものが、一枚めくって見ると、実は親の憎しみや罪悪感であったりする事は屡々であり、・・・・当の子供はちゃんと分かっているのである。」と記されています。

 子供の世話をやき過ぎたり、庇い過ぎたり、無闇に品物を買ってあてがったり、子供の為に自分の時間を割いたり、考慮を払わないことの埋め合わせをしたり、自分の自己愛を満足させたり、自分のパーソナリティーに合致させる為に子供を利用したり、世間に売り出したり、子供の感情を抑えて置いたりする親達は、幾ら子供を愛している積りでも、本当に子供を愛していることにならないということです。

 (パーソナリティー:人格・個性 特に個人の統一的・持続的な特性の総体のこと)

「そして子供はこのような攻撃に報いる為に親に対して、たとえどんな高価な犠牲を払っても、いつかは凄まじい復讐を遂げるものである。」(極めて大切なこと)親達に対する警告とも取れるお言葉を残しています。親の精神的歪み、生命の原理を無視した子育てが、愛の欠乏感が子供の心を歪め、不幸に導くということです。

 本文の実例を参照して、アルコール中毒に限らず、この愛の欠乏感が人生に不幸を齎すのです。

 

●私達が親として、また親となる人達にとって如何にしても、なんとしてもこの生命の原理を正しく理解し、正しい愛の在り方を身に付け、 

 それに違わぬようにすることが幸福への道であるということです。

 その為に私達は先生のお言葉を鏡として、自らの内心を点検すると共に、心の法則を学び心の歪みを是正することを強く求められているの 

 です。

 

 此処で著作集の第二集の四十六頁と五十五頁にそれぞれ次のような言葉が記されています。

「人間の心の表面がどんなに幸せを求めていても、その潜在意識の方で不幸を求めており、その様な心の傾向が存在すれば、自分が意識するか、しないか、また好むと好まざるとに関わらず、不幸の現象がちゃんと潜在意識に命令された通りに、数学的正しさを以て出て来るものだ・・・」と、

また「人間の病気は、決して単なる局所の病気ではなく、全人格的な病因が肉体の一部に表現されたのに過ぎない・・・・」と。(破壊的エネルギーを阻止するだけでも効果はあるとのこと)

 この不幸を再生命化し本来の姿に戻すためには、何度も申し上げていますように、奥深い魂の意識と表面の意識を繋ぐパイプ即ち潜在意識の浄化が絶対に必要であるということです。

 その方法がこの「幸福への探求」に記されています。勿論その他の著作集にも記されておりますが、内心に普遍妥当な規準を持てるまで、何度も繰返し拝読しなければなりません。

我々が人生の諸々の人生の挫折や間違いを繰り返すのは、自らに普遍妥当な生活の在り方、心の在り方を身に付けていない為に、判断を誤り、従って不断に迷い、不安を持って生活している事で、人生の岐路に立った時に、目先の現象や利害得失に惑わされてしまうということです。

 この事は自身の社会的地位や、名誉や、財産を以ってしても是正は不可能であり、先に記されていますようにそれこそ数学的正しさで以て、人生行路のいずれかの時に現象となって現れるということです。

 先生のお言葉にもありますように「潜在意識とは恐るべき存在」なのです。

「幸福への探求」に関する覚書 【第14回 全人格的転換を可能にする愛の力(1)】

【第14回 全人格的転換を可能にする愛の力(1)】

 

 前頁までの記述の中で、子供の人生にとって如何に両親の正しい愛の在り方が大切であるかが理解できたと思います。そして、注がれた愛の歪みが子供の潜在意識に歪みを与え、その歪みが怒りや恨みや嫉妬や劣等感を生み育て、攻撃性と依存性の相矛盾する心を生じ、それが却って罪悪感を生み、自己破壊的衝動となって自らの人生はもとより、他人までも不幸に陥れてしまうことが分かりました。

 将に「三つ子の魂百まで」で幼少期に形成された潜在意識の歪みは、人生を決定付けてしまうという事です。●極めて大切な事なので正しく記憶しましょう。

潜在意識の歪みは大人になっても、社会での功績や名誉や財産を得ようとも決して変更されることはないのです。 

幼少期の精神的挫折(内的要因と外的要因共に)が激怒となって復讐を果たすのである。

そして、その復讐しようとする心を自らが審いて、我と我が身に加えた自己懲罰が諸々の不幸な現象なのです。

 この自己懲罰か逃れるためには、潜在意識の浄化即ち愛の力を以って、その破壊的力を正しい愛の力を以って再生命化(善の方向に転換して)して、全人格的転換を計るよりほか無いということがこの頁の結論なのです。

 その正しい愛の在り方とは、

 この頁の最後にキリストの言葉を引用されて、

 「己が生命を救わんと思うものはこれを失い、我が為に己が生命を失う者は之を得るべし」とあり、「我々は『我が為に・・・』の部分を、愛を他人に注ぐという意味に言い換えれば良いだけのことである。恐らくイエス・キリストが述べた言葉の意味もそこにあったと思われる」と記されています。

 

 それでは此の頁の具体的なことを観てみましょう。

「口愛型の人は、幼時、授乳期に母親から充分に母乳を与えられなかったり、授乳時に母親のなんらかの都合により、授乳が中断されるということを度々経験し、その為に乳児の心の奥底深く母親への恨みを抱き、同時にいつまでも乳飲児の心を持ち続け、充たされなかった愛情を乳飲児のように、口唇を通して充たしたいという強い願望を、潜在意識的に持続しているのである。」記されています。

 ここで母親への恨みは、復讐せんとする攻撃性であり、他方、いつまでも乳飲児でいたいことが依存性に繋がっていて、口愛型の人は独立心が乏しく、本質的には受動的で競争的なことが苦手であり、逃避的でもある。しかしその無抵抗さは、その意志並びに効果において、攻撃的であるとされています。

 

 私達もこの事はよく経験するところであり、成人した立派な紳士の中にも、意見が食い違ったりする時だんまりを決め込み、拗ねた態度を取る人を良く観かけることがある。此の無言が最大の抵抗と攻撃性を示している事は明らかである。

 

「幸福への探求」に関しての覚書 【第14回 全人格的転換を可能にする愛の力(2)】

【第14回 全人格的転換を可能にする愛の力(2)】

 

 口愛型の人には、先に述べておられるようにアルコールに耽溺する人がいますが、将に自らの傾向をアルコールが救ってくれると信じている人で、そこには非常に強い劣等感が存在し、嫉妬や敵意から生じる罪悪感がその基礎となっていると述べています。

 そして、「飲酒には当人が意識していない攻撃的機能がある・・・」「直接的な攻撃性に関連するよりは、飲むことの背後に隠れている、根本的な攻撃性に一層深い関連性がある。此の攻撃性は部分的には抑圧されても、決して全面的に抑えられることのない敵意であって、これがアルコール的神経症を決定する主な要素であると思われる。」と記されています。

●  課題 根本的な攻撃性、全面的に抑えられることのない敵意とは何処から来るのでしょう。今まで学んだ事柄に照らして本文から探してみましょう。

 更に先生は、

「幼年期に経口的に受けたいと思った強い願望、即ち愛情の必要性が拒否されたこと、並びにその願望挫折が産み出した猛烈な恨みの念に関するものである。このような恨みの念は復讐してやろうと思わせるので、そのような復讐に専念したり、その事を空想しただけでも、当然処罰に価すると思い、自分が絶滅させられることさえ想像するものである。」と記されています。

 

 つまり先に述べた、復讐の念に駆られる一方で、そのことに対する罪悪感を強く抱き自己を破壊する自己懲罰の思いに駆られることが分かります、そして、その思いから逃れるため、より一層の破壊を阻止するためアルコールに溺れてゆくことが分かるのです。

 一方では復讐を、他方でその復讐に対する懲罰を望む心が働き、それを阻止する手段としての飲酒ということなのです。しかしそれは根本的解決にならず逃避にしか過ぎないのです。そしてそれがまた自らを更に悪い状態に導くのです。誠に人間の心とは、表面の意識とは違って複雑に働くのです。

 先生は、心の葛藤(あらゆる種類の)から逃れるためにはどうしたらよいのかを、その方法と、心の働きの真実を私達に教示してくださったのです。学んで理解し実践するのみです。 

 口愛型の人は、大人になってもその幼児性を内面に持ち続け、男性の場合は母親に対する激怒は、女性全般に向けられ、正常な性的関係よりは、いたわってくれるような母親のような愛撫を求めている。そして、その代償行為として経口的にアルコールによって心の傷を癒そうとするのである。それが先に述べられたように却って自らの無能や劣等感を増幅し、益々自分を破壊して行くのです。

 こうした傾向を根本的に解決するためには「全人格的転換を必要とするが、この為には人間としての普遍的愛に目覚めなければならない。」と記され、続けて極めて大切なことを述べておられる。

 「色欲的発達(性的発達)を禁止するものの中で、先ず第一に挙げなければならないのは自己愛である。自己を愛する心ほど人間の愛を禁止するものはなく、また自分自身だけに注がれる愛を、適正な外界の対象物に向ける事ほど事態改善の役に立つものはない。愛を自分だけに向けて注ごうとするのは憎悪を自分に集結させる事と同様なのである。・・・・自己愛は、それ自体が保護しようと思っている自我の喉を絞めて息の根を止めてしまうのである。」と。

 そして先に述べたキリストの言葉に続くのです。

「お言葉に学ぶ」に「自我の愛とは、自己保存の愛、世間の愛であり、自我から出発する一切の想い、一切の行動が自分に利益になるように仕向ける愛である」「自己礼賛のために他人をかしずかせる手段としての愛である」と厳しく述べておられます。

「幸福への探求」に関しての覚書【第14回 全人格的転換を可能にする愛の力(3)】

【第14回 全人格的転換を可能にする愛の力(3)】

 

 先生が、繰返し、繰返し愛について述べておられるのには、それだけの意味がある訳で、先に記されておられるように普遍的愛(創造生命に淵源する愛、善に向う愛、他人を活かす愛)は、自らを暗黒の世界から救い出す唯一の手立てであるからです。それはまた、生命の本源的な在り様であって、人間はその原基を宿し、愛を行動して生きなければならない存在であるからです。人間の本当の生き方だからです。

 そして、自己愛は愛の倒錯した姿であり、創造生命の力を阻止するもので、人間を不幸に導くものであるからです。

 此処でアルコール依存症乃至アルコール中毒者に言及しておられますが、我々がアルコール依存症ではないからといって、その心の在り様に該当しないと考えるのは大変な間違いです。先生がおっしゃれておられ所の心の働きの法則性を理解していないか、自覚の低さを告白しているもでしかありません。

両 親が良かれと思い育てられた事は事実でありましょう。しかしながらその熱心さと、育て方の誤りとは別の問題であり、分けて考えなければなりません。その両親もまたその前の両親に育てられたわけですから、「親の因果が子に報い」の如く、子供の心に少なからず深い傷を与えている事は間違いありません。

 先生が、結婚についての間違いを、再三に亘って厳しく注意を促していることは既にご承知と思います。子供の誕生は結婚が原因であるからです。人生の不幸の原因でもあります。人の子の親たる資格を厳格に述べておられるところです。私達は先生に触れて、人間の存在の意味、真実の愛、幸せな人生を実現するための生活の在り方を学ばせていただいた中で、その真実に照らして自らの心の歪みを正して行こうとする努力をしてきたはずです。その改善があれば其の後、人の親となっても、現在、親であっても子育てに対して改善が図られ、その後の子供たちの心の在り様は改善され、更に向上して、先生が示された人間本来の在り方に近づく事ができるのではないでしょうか。

 この「幸福の探求」の最後の項目「神経症的性格が自己を破壊する」のように、深層心理学的に人生の不幸の最も大きな要因として、自己愛と神経症的性格を取り上げておられます。

 私達は、自分自身から全ての社会的責任や、功績や、名誉や、財産を取り去ってみて、素っ裸の一個の人間として先生の「勇気・元気の出る言葉」を鏡にして、自らの姿を照らして観て、そこに何が残るのかを考えてみる必要があるのではなかろうか

 

 断っておきますが、深層心理の法則、心の自然法則で全ての問題が解決するわけではありません。

 さらに奥深い魂の世界がある事は既にご承知の通りです。しかしながら、正しい心の在り方、生活の在り方を身に着ける努力を怠り、唯魂の世界だけに注目する事は本末転倒です。それこそ迷信に陥り、先生が何度も警告されていることを忘れないようにして戴きたいものです。「泣き言も言い訳も通用しない」ということです。

 表面意識は潜在意識に繋がり、更に無意識に繋がり、その先端は所謂宇宙意識、創造生命に直接に繋がっていることを、そして創造生命の偉力は、井戸の湧き水のように、常にこんこんと湧き出し、我々を根底から支えていることを決して忘れないようにしましょう。創造生命の偉力を表面の意識まで純粋な形で持って来るには、そのパイプ役である潜在意識乃至無意識の歪みを是正する事がもっとも大切であるということです。その為の心の自然法則の学びであり、「幸福への探求」なのです。

 最後に、人生の歩みは自らの自己中心性を払拭する歩みであると言っても過言ではないのです。

 

「幸福への探求」に関しての覚書 【第15回 神経症的性格が自己を破壊する(1)】

【第15回 神経症的性格が自己を破壊する(1)】

 

  いよいよ此の項目で「幸福への探求」に対する覚え書も終了を迎えました。

 これまでに、心の構造と働き、心の歪みの在り様と是正の方法、更に正しい愛の在り方などについて解説されたものを紐解いてまいりました。少なからず、私達はそれを再び学ぶことが出来たと思います。後はさらに学んで、それを普遍的考え方ないしは原理原則として身に付け、行動の規準をそこに置き、実生活に活かしてゆくことが人生を有意義なものとし、幸福への手がかりとしなければなりません。

 先にも述べておりますように、幼少期に被った心の挫折、絶望所謂心の歪みは深く潜在意識に沈下して、生涯に亘って我々の運命と称する名の下で、人生を形成し、色々な不幸や病気などその歩みに対して障碍を及ぼす苦悩を抱えることになるのです。「人は真善美を本来求めている。しかし、その求める心が挫折した時、人は悪に走るのである」。しかし、それも見方を変えれば、先生がおっしゃられておりますように「その人自身への大いなる恩寵、進歩向上の糧である」と言うことです。「いつ如何なる時でも感謝を忘れてはならない」との励ましなのです。

 ただ現実の問題としてそれらの障碍をどの様に乗り越え、解決してゆくかを「幸福への探求」は示唆しているのです。心の自然法則を学び、更に奥深い魂の世界に直結する心であることを自覚して、正しい愛の在り方を身に付けて、自身と他人にその愛と善意を注ぎ入れて、憎悪や恨みを自らに集中させないこと、即ち自己愛、自己中心性を打破することが大切であるということです。

 そして、心に深く刻まれた罪悪感や劣等感から自らを解放し、我と我が身に対する自己懲罰、自己破壊を阻止乃至緩和することが人生を幸福に導く方法なのです。

 そこで先生の思想、考え方、生活の在り方を学んで、自身の考え方、信念を転換して、本来の人間の在り方に立ち戻れば、心の深層からこんこんと湧き出る創造生命に直結する生命力を以って、運命が改善され、人生に明るい光が差し込んでくる事、真実の愛に目覚めることが自らを救済して行く事を知らなければならないのです。「人間の本質は即ち愛である」そのものなのです。

 それでは「神経症的性格」とは如何なることなのでしょう。

 先生は、犯罪者の心理を述べられる一方、犯罪者とは異なり、諸々の衝動に駆られる事は同じでも、その行為に対する処罰を公権力に委ねる事無く、自分で自分自身に加える人々を「神経症的性格」という言葉で表現されています。そして神経症的と神経症とを区別して、

1.神経症的性格の人は、症状が行動の上に現れる。

2.神経症の人は、感情の上に出てきたり、肉体上の病気となって現れる。

としていますが、これらが複雑に絡み合っている事は当然のことです。

 「それらの人々は殆んど例外無しに、自分自身で統制しきれない欲望の中に敵意や罪悪感があるのを発見し・・・・この敵意や罪悪感は処罰されることを要求し、その為の衝動が一層強くなり、一方では危険な結果を招くかも知れないという可能性を、軽視する傾向を持つようになる。・・・・うまくいけば助かるかも知れないという一時の僥倖(思いがけないしあわせ)を頼みにして、理性と判断を無視するのが自己破壊の一つの方法なのである。」と記されています。

 つまりは自身が敵意や罪悪感を持っていることを認めながら、そのことに正面から向き合わずに甘く考えて、何とかなるとして放置してしまい、それが尚一層の処罰を求め、自己を破壊してゆくと言う事です。ですから、表面的には理性的で楽観論者のように見えても、その実問題を解決しようとする意志が欠けていると共に、解決の方法を知らずにいることになり、ありもしない与太話を信じて、自らを更に泥沼に落とし込んでゆくと言う事です。

 

「幸福への探求」に関しての覚書 【第15回 神経症的性格が自己を破壊する(2)】

【第15回 神経症的性格が自己を破壊する(2)】

 

 よく周囲を見渡せばこうした実例はたくさんあります。

例えば、普通に考えれば眉唾の儲け話に乗って大金を騙し取られるとか、ありもしない計画に乗ってとんでもない悪に加担してしまうとか、先の見通しを考えずに借金をしてしまうなど、重大な問題から軽微な問題まで、全てが一時の僥倖を求める結果、苦痛や苦悩をしょい込むことになり、しかもそれを繰り返す。このことが自己懲罰ということなのです。更にその底には誤った信念、妄想があるということです。ちなみに妄想とは、「根拠のない主観的な想像や信念。病的原因によって起こり事実の経験や論理によっては容易に訂正されることがない。」

 つまりは心の中に普遍的考え方、生活の在り方の規準をもたないということです。

 自分から招いた不幸から、自らを救い出そうとせずに、他人に責任を持たせ、そのことがより一層の罪悪感を産み、自分自身を破滅の渕に陥れ、我と我が身に自己懲罰即ち自己破壊を行い、人生に失敗するのです。(犯罪者や神経症的性格の例については本文を参照願います) 

 更に先生は、

「彼等の幼年期の事情には、正常な発達を阻止する越え難い障碍が山積みしているのである。幼年時代から彼等には、劣等感が深く染込んでいるのである。」と記されています。

 幼い頃の彼等を脅かし、その結果、自己を主張する為に、このような破壊的努力をしようとする原因には、二つの事例を挙げておられる。

1.兄弟の場合、両親の一方の子供に対する偏愛によるもの

2.男女の兄弟の場合、性差による両親の偏愛よるもの

 

☆1の場合は両親または弟に対して挑発であると同時に、復讐的であり、彼は破壊的手 

 段を用いて親の愛情を獲得しようと努力するのである。

 これは表面的には反社会的行為であっても、それは両親の愛を獲得しようとする儚く、悲しい努力であり、同時に自己破壊なのである。心とは一つの目的を果たそうとするのではなく合目的的に働くことを理解しなければなりません。

☆2の場合は姉であり妹であっても女の子に与える両親の寛大さを羨むことになり、

 却って自らを無抵抗な受身的、女性的態度を取ろうとするのです。

 ここでも愛と憎しみなどと同じように、攻撃性と依存性を同じ対象に向って投げかける心の在り様が見て取れるのです。

 両親の誠意のない態度があるとすれば、子供は不本意ながら無抵抗になるか、徹底して同性愛に走るか、反対に過激な行動によって全てを否定してしまうかで、攻撃的な表面とは裏腹に、その蔭ではこっそり受身的満足を盗むのです。

 そこから如何に両親の歪んだ愛の在り方が子供の心を歪め、人生を狂わしてしまうかを垣間見ることが出来るのです。結婚して親になり、子供を育てることが如何に一大事であるかと共に、両親の責任は重大であるということです。もしも子供が不幸になることがあれば、少なくとも幼少期における両親の愛の在り方が誤っていたことを深く反省しなければならないのです。もしそうでないとすれば先ず天に感謝し、子供に感謝すべきでしょう。

 「神経症的性格者は、自分が行なう攻撃によって自分が利益を受けることを許さず、常に処罰を受ける方向へ驀進する傾向がある。」と記されています。これが典型的自己破壊的衝動なのです。

 

「幸福への探求」に関する覚書 【第15回 神経症的性格が自己を破壊する(3)】

【第15回 神経症的性格が自己を破壊する(3)】

 

 神経症的性格者は、

1.自らが処罰されるように、念入りに何もかも自分で仕組んだ事を指摘されても、それ 

  を打ち消し、悪いことをしたという気持ちさえ全く無いと主張する。攻撃や敵意の  

  感情を募らせる一方で自己処罰を望むのである。

2.受身的な方法を用いて攻撃や自己破壊をするもので、無抵抗であることが、積極的な

 攻撃と同じ位に挑発的であり、怠けたり、無関心であったり、愚鈍であったりして、周囲の

 人々を苛々させ、とてもやり切れないと思わせるのである。

 目立たないがこの事例の人の方がその数は遥に多いのである。

 「神経症的性格者が何遍でも繰り返す行動を決定するあの不合理な、しかも無意識的動機がそこに働いていることについて、疑問の余地が全く無くなる。煎じ詰めて見ると、それは常に高度の自己破壊と言える。」と記されています。

3.一、苦しむこと 二、不自由な思いをすること 三、欲しいものを棄ててしまうこと 

 四、希望と喜びを滅ぼしてしまうこと。

 「彼らは自分の頭を高く保持する為に、反抗と絶望の念にさいなまれつつ、盲目的自 己主張を続けるのであるが、その内面は空虚そのもので・・・現実を愚弄すれば、必ずその咎めを受ける。そして処罰と因果の重荷は焦慮と悲哀とが限りなく積み重ねられて行くのである。」と。

 つまりは高慢で自己主張をすればするほど、苛立ちと悲哀が募り、自らが支払うべき代価として、苦しみや、不自由や、欲しいものを諦め、希望や喜びを断念して、それがまた苛立ちと悲哀に繋がる悪循環に陥り、人生を不幸の淵へと自らを追い遣るということなのです。これが無意識的に行なわれ、自らの責任を回避するのです。しかしその責任は自己破壊という形をとって果して行くのです。

 こうした人々の一般的公式は、

4.何時までも子供でいて、親を頼りにしていたいという強い願望がある。

5.彼らの満足を妨げる社会、経済その他の力に対する激しい怨恨がある。

6.その結果、復讐、自己主張、及び罪悪感等が錯綜して組み合わされている。

 

 神経症的性格乃至神経症的病弱型の事については「愛の創造」にも詳しく解説されておられるので参照してください。また「お言葉に学ぶ」のテキストにも記しましたので合わせて参照してください。

 我々は押しなべて神経症的もしくは神経症的病弱型の傾向を持っている。犯罪者とならなくとも、その病的状態を脱しなければ、心に本当の平和は訪れないし、人生の不幸であるところの病気や事故や対人関係のトラブルを抱え込むことになる。現代社会の根本的病的状態の根底に横たわる問題でもある。何度も繰り返しますが、この傾向は社会的地位や、名誉や、財産等によっては決して変更されることはありません。この病的状態を脱する為には、そのことに気が付き、真実の愛に目覚め、不断に内省して、真実を学ぶこと以外に方法は無いということです。全ては自己愛を放擲することです。 

 

【「幸福への探求に関する覚え書」を終えるに当たり】

 わたつみ友の会は、先生の考え方、思想、生活の在り方を学ぶところです。その理由は先生が示された方向が、人間、とりわけ日本人の真実の生き方であるからです。そして普遍妥当な規準であり、物差しであるからです。 

 私達は、心の自然法則を学び、それを鏡(鑑)にして自らの心を照らして、常不断に心の歪みを正して、進歩向上を目指さなければならないのです。自己中心性、自己愛を一刻も早く払拭しなければならないのです。それが「幸福への近道」なのです。

 幸福を求めるのではなく、幸福になれる生き方を身に付ける事が先であり、最も大切なのです。 

 

 最後に先生の「勇気・元気の出る言葉」から、

 「どうか私の話をお腹の底に、そして耳元に留めておかれまして、繰り返し、繰り返しそれを噛み砕いて、消化し、吸収して、本当の人間の命というもの、生きている事実ということ、生きる意味ということの本源を探り、そして新しい幸福な人生を築く一つの柱として・・・」とあります。

 この「覚え書」にさらに加筆して更なる充実を図り、各位の更なる研鑽と進歩向上の一助になることを願って終わりたいと思います。

 

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