医学博士 鴨志田恒世(かもしだつねよ)<1922−1987>

  医学博士 鴨志田恒世先生は人文科学、自然科学の多方面に亘り研鑽を重ねる一方、特に深い宗教的体験を通じて、高度な精神的修練を積まれ、従来の科学と宗教の間の矛盾に確固たる接点を見出されました。

また、その天与の卓越した叡智以上の精神的能力と、人間に対する限り無い愛と慈悲の心を以って、不治の病を癒し、人生の極めて深刻な苦悩を解決に導き、多くの奇跡的事実を示されました。

そして、昭和43年に創立した「わたつみ友の会」を通して、「神と自然と人間の調和」を培ってきた伝統的日本の心に、真の幸福を齎す心のあり方、生活の在り方が在るとして、その実践を強く要請され、その思想と生活原理の普及のため、昼夜を分かたぬ社会啓発活動に全生涯を捧げ尽くされました。

「大丈夫(だいじょうふ)の道を行く」 鴨志田 恒世

 鴨志田恒世先生は旧制中学時代から、仁・義・礼 の三つを併せ持った人間こそが真の大丈夫であるとした、孟子の『居天下之廣居 立天下之正位 行天下之大道得志與民由之 不得志獨行其道 富貴不能淫 貧賤不能移 威武不能屈 此之謂大丈夫』 を座右の銘とされておられました。

   

       「大丈夫(だいじょうふ)の道を行く」   鴨志田恒世

 あれは多分、旧制中学三年生の時であったと思うが、漢文の時間に、先生が教室に入って来られるとすぐに黒板に漢字を書き連ねて、私に向かって「これを読んでみなさい」と言われた。

 私は、初めて見た文章なのでちょっと驚いたが、やっと

 「天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行く。志を得れば民と之に由り、志を得ざれば独り其の道を行なう。富貴も淫する能わず。貧賤も移す能わず。威武も屈する能わず。此れを之れ大丈夫と謂う」

と読んだので、先生が「それで良いね」と言って、微笑してくれたことを覚えている。この時、この文章は中国の有名な「孟子」という本の中の一節であることを知ったが、それ以来、私はその文章が大変好きになり、そのような偉大な人間になっていきたいと、心ひそかにこれを自分の座右の銘とするようになっていた。 

 また、複雑な人間関係に於いて、色々な誤解や非難や中傷を受けた場合など、これを正しく理解させたり、証明出来ない困難な問題で悩むことが少なくないが、そんな時、キリストの有名な「神よ彼等を許し給え、彼等知らざればなり」という言葉が、どんなに私の心を支えてくれたことか。これによって、私は人を赦す心を培うことが出来たと思う。

 およそ世の中には色々な病気があるが、不信と猜疑心ほど恐ろしい病気はないと言われている。万物の霊長としての重要な特筆の一つは、人間に考える能力と、信ずる能力とがあることである。今日の社会的通弊は、神経症的性格の持ち主が多いことであるが、彼等はこの深く考える能力と、信ずる能力が欠如しているのであって、それによって人生を一層暗く、淋しいものにしていると言って過言ではない。深い思慮により、限りなく人を信じられる人であって、初めて万物への普遍的愛が生まれるものである。

 「同胞(はらから)よ、智慧の貧しきを嘆くことなかれ、愛の乏しきを憂えよ」とは、拙著「愛≠フ創造」という本の冒頭に書き記した言葉である。真実の信あり、愛があって、初めて人間は万物の霊長としての天賦の能力を発揮し、幸福と真理への道を歩むことが出来るのである。 

 「真理は汝を自由ならしめん」という有名なキリストの言葉があるが、人間は誰でも、真実と自由を求め、幸福を願っている。世の中には不幸を嘆く人が多いが、これらの人々は多く感謝の念に乏しいと思う。真に充実した生活を営む為には、常に心に喜びと感謝がなければ純粋な感動は起こらないし、感動なき人生は死に等しい。人生を勝利に導く要諦は、無心と純粋さと、天地を動かす程の真心の持ち主となることが必須の条件である。

 「これを求め、これを求めて得ざれば、天畢(つい)に之を与う」 という言葉のように、真に純粋に真心を込めて努力し求めるならば、天はこの人に真理の栄光を与えられることを、私は幾多の鮮烈な現象を通して、如実に体験しているところである。

   昭和53年4月 青少年の座右銘  「現代茨城の百人」(上)育英出版社 に掲載  

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