― 幸せに生きる為の勇気・元気の出る言葉 ―

第1回 真の幸福への道  鴨志田恒世著作集の第1集 「人間の心」101頁からの抜粋

  近代文明を振り返ってみますと、特に戦後の絢爛たる機械文明の影響を受けまして、精神面が非常に置き去りにされて来ています。今日の道徳の規準は、二千年前のアリストテレスの倫理学の域を脱しておりません。一般自然科学の世界に於いても、結局唯物論的な思想に裏付けられて、その絢爛たる機械文明の事だけに目を奪われて、経済的な面にのみに生活の焦点を置いております。

  今日よく流行語の様に云われております「親子の断絶」と云う様な事も、結局、精神文明と物質文明とのアンバランスによる社会病理学の一現象でしかありません。

  世の中の親にして、子供と何らの精神的交渉も無い事を喜んでいる人も無く、或いは親に背いて家を飛び出し、親の意思に反した行動をして本当に救われたといって、喜んでいる子供もいない筈であります。

  表面はいかにもその様に見える事がありましても、然し、それは大衆の前で、華やかに見られている時のみの事であります。カムフラージュに過ぎません。本当に自分自身が一人になった時、これで良いということは先ずありません。

  例えば、太閤秀吉の死ぬ時に残した「難波のことは夢のまた夢」と云った言葉、この心理というものは、広く人間の心の奥底に、共通に持っている悲哀感でありましょう。

  人間は決して、外部的な条件をどんなに注ぎ込まれても、本当の人間の心の救いという事はありません。本当の人間の心の救いは、そんなケチなものでは無いからです。

  私は、物質的なものがいらないと言っているのではありません。然し、今日、日本の多くの人達は、物が無くて不幸であるよりも、物があって不幸である人が非常に多いという事を申したいのであります。

  その一例として、現在、国民で栄養を取り過ぎて、栄養過多で健康を損ねている人々が何と多い事でしょう。世間では栄養とか、カロリーとか騒いでいますけれども、実際は栄養過多という名目で、自己破壊を行っておるのです。不幸になる原因を作り上げているのであります。 

  さて、人間は他人に騙されて、非常に悲しがるけれども、他人に騙されて悲しがる以前に、自分自身に騙されている事に気付きません。そして、皆幸福を求めているというけれども、真実には幸福を求めておりません。然し所謂「棒ほど願って針とやら」という言葉があるように、それを真理として受け取っておりますけれども、これは大変大きな誤りであります。

  そうすると皆さんは云うでしょう。「私は一生懸命に幸せになろうと努力したけれども、本当に幸せになれない」と。世の中の人々が幸福を求めて努力をして生きている事も、私は無下に否定している訳ではありません。然し、それは心の表面でそう思っただけで、実際は、心の奥底では、不幸になろう、なりたいという願望を持っているという事なのです。これは今日のお話の焦点でもありますから良く理解して頂きたいと思います。 

  幸せになる為には「自己破壊」、「他人に騙される前に自分自身に騙される」を理解し、克服しなければなりません。次回に取り上げます。

NPO法人わたつみ友の会広報部

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